「樹木希林と市原悦子」一流女優のすごい共通点 2人の名女優が私たちに教えてくれたこと
何を演じても、ただの美人で終わる女優は、心に残らない。何も教わることがないからだ。
「美しくある」ことも女優の仕事の1つだけれど、人間の営みの深淵を垣間見せてくれる女優のほうが、確実に記憶に刻まれる。たぶん、それはテレビ的には「はしたない」「みっともない」「えげつない」と分類されるようなもの。むさぼるような食欲とか、性欲の在りかとか、下衆の勘繰りとか、その場の空気を凍らせる本音とか……ああ、人間って生臭いと感じさせてくれることである。
この「3ない」をテレビドラマで見事に演じ切った名女優、樹木希林と市原悦子が他界した。
劇中のセリフで、容貌をいじられることも実に多かった2人。不美人をあざ笑う時代で、心を消耗させられる凶器を毎度突きつけられても、樹木と市原は演じ切った。むしろ武器に変えた。故人を褒めちぎり、聖人化するのはあまり好きではないが、過去作品を振り返って、彼女たちに教わったものを追悼の言葉に代えたい。
ドルオタ上等、自由なババア像
今の時代でも「いい歳して恥ずかしいんだけど」と、ドルオタ(アイドルオタク)を告白する中年女性は多い。「恥ずかしがることなかれ、好きを貫け」と教えてくれたのが「寺内貫太郎一家」(1974年・TBS)の樹木だった(当時の芸名は悠木千帆)。
主人公(小林亜星)の母・きん役で、かつてのアイドル・沢田研二の熱烈なファンという設定。壁に貼ったポスターを眺めては「ジュリィ~ッ」と身悶えるシーンが有名だ。ジュリーファンを公言し、仄かな性欲も匂わせつつ、乙女心を全開で演じた。
普段はボロ服を身にまとい、金にも食べ物にも意地汚く、口からは確実に食べこぼす。とくにスイカの食べ方はあさましく、汚くて感心した記憶がある。もう、言葉を選ばずに書くが、とてつもなくすごいババアだった!
「女は慎ましく行儀よく」の時代に体裁をガン無視し、ここまで欲望に正直で自由なババアは斬新だった。家族にひどいいたずらを仕掛けるわ、嫁の加藤治子の料理に文句つけるわ、お手伝いの浅田美代子をいじめるわ、「今、それ言う?」と気まずい話題をぶちこむわで、やりたい放題。
それでも憎まれない。劇中、亡き夫に、実は隠し子(谷啓)がいたことも受けとめた寛容さもある。また、若さ礼賛・外見重視の世の中に対して、反発と啓発を促す成熟と達観もあった。「人間70年・80年のうち、みんなにかわいいわね、なんて言われるのは5年か6年かそこら。そんなモノに頼ってたら身をあやまるわよ」。平成が終わる今の時代でも、ぐっと刺さるものがある。脚本の力もあるが、樹木の女優魂あってこその言霊だった。
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