怒りを抑えられない人に欠けた「大切な考え方」 実は「怒り」は自分を守る感情である

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以前の記事では、受け止めきれないほどのつらい感情を持ったとき、生活を維持するために、本来の「私」が意識できない壁の向こうに感情を封じ込めておくと説明しました。

壁の向こうでは、本来の「私」の代わりに感情を引き受ける別の「わたし」が生まれます。こうして、おぞましい感情は「私」ではなく壁の向こうの「わたし」のものとなり、「私」はつらい感情の影響から免れ、守られるのです。

「怒り」は自分を守る感情である

壁の向こうの「わたし」は、「トラウマ担当のパーツ」、あるいは単に「パート」や「パーツ」と呼ばれたりします。人が自分を守るために、無意識のうちに生み出した生存戦略ですね。

では、今回テーマとなる怒り狂う「わたし」とうまく付き合っていくにはどうしたらいいのでしょうか。

まずは、「すべての感情には役割がある」と気づくことからはじまるのだと僕は思っています。

怒りは、相手が一定の境界線を踏み越えたことに気づかせてくれる本能的な感情です。不快なズレや危険を感じると怒りという感情が生じ、自分を守るための行動をとることができます。怒りは自分を大切にするためにはある種欠かせない感情ともいえるのです。

僕は、怒りの本質は「押し返す力」だと考えています。怒りのエネルギーがなければ、相手の攻撃や支配から、自分や自分の大切な人たちを守ることがとても難しくなるからです。

「ヘルシー・アグレッション(健全な怒り)」という言葉があります。怒りを健全に働かせることで、他者の不当な要求を突っぱねるエネルギーを得ることができるという意味です。まさに自分と他者との境界線を引く上で「怒り」は主原料ともいうべき感情で、自らの存在を守るガードマンのような存在なのです。

怒りを表現できない普段の「私」は、他人から不当な扱いを受けても反撃できません。あまりにやられっぱなしになって、このままでは自分が守れないと思ったときに、無意識的に怒りパーツである「わたし」が出現し、危害を与えてくる他者を反撃することで本来の「私」を守護するのです。

つまり、怒りの感情そのものは決して敵ではありません。普段怒りを封じ込めている「私」の代わりに怒りの感情をすべて引き受けると同時に、他者が一定のラインを越えたら「私」の代わりに猛反撃する防衛機構なのです。

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