地球帰還後に燃え尽きた「宇宙飛行士」の告白 後悔なく生きるのは宇宙に行くより難しい

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宇宙へ行き、無重力空間で、国籍も人種も世代も異なる仲間たちと生活しミッションに取り組むこと、地球を外から眺めること、宇宙船の外へ出て、死と隣り合わせの状態でさまざまな作業を行うこと。

これらはいずれも、何ものにも代えがたい素晴らしい経験でした。

しかし、宇宙から帰ってきたばかりの僕には、宇宙で経験したことの意味を理解することができませんでした。

野口聡一氏。2020年6月撮影(写真:SpaceX/JAXA)

特に最初のフライトは2週間だけであり、地球では絶対に経験できないさまざまな出来事に感情を揺さぶられ、ミッションに追われているうちに終わってしまった感覚がありました。

しかもその後、すぐに2回目のフライトのための準備が始まったため、「宇宙へ行って、自分の何が変わったのか」を落ち着いて考える余裕がなかったのです。

それでも、「宇宙に行って人生観は変わりましたか?」という質問には、肯定的な答えを用意し、内面的な成長を見せなければいけない。

当時の僕はそう思っていました。

それが、多くの人が僕に望んでいることだからです。

宇宙に行って、果たして自分の人生観が変わったかどうか確信が持てないけれど、人々の期待に応え、「変わった」と言わなければならない。

そんなギャップ、違和感を抱えながらも、2回目のフライトの準備に忙殺され、2009年、僕は再び宇宙へと飛び立ちました。

寂寥感や喪失感を抱えた10年間

2回目のフライトでは、国際宇宙ステーション(ISS)に約半年間滞在し、さまざまなミッションを達成し、その時点での日本人宇宙飛行士の宇宙滞在期間の最長記録を更新しました。

また、Twitter(現・X)を通じて情報を発信し、地球とリアルタイムでの交流をしたり、テレビのバラエティ番組に中継で出演したりもしました。

自分が、そして人類が宇宙に行くことの意味を、僕なりにつかみたいという思いもありました。

ところが、あまり知られていないことですが、2回目のフライトの後、僕は非常に大きな苦しみを抱えることになりました。

苦しみの大きな原因の一つは、それまで寝ても覚めてもずっと頭の中にあった「宇宙でのミッション達成」というプレッシャー(重石)が取れ、今後自分がどこへ向かっていけばいいのか、方向感を失ってしまったことにありました。

また、ほかの宇宙飛行士が次々に脚光を浴び、自分が打ち立てた記録が更新されていく中で、「自分はもう必要とされていない」「自分には価値がない」と感じ、「あれだけ夢中になっていたことは一体何だったのか」「それに価値がないとすると、自分の存在意義は何なのか」という思いにさいなまれるようになり、何もやる気が起きなくなってしまったのです。

苦しみは、40代半ばから50代半ばまで、約10年間続きました。

寂寥感や喪失感を抱えたこの10年間は、僕にとって「つらいことだらけの時代」でした。

当時の僕は、おそらく宇宙一暗い宇宙飛行士だったのではないかと思います。

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