第2次世界大戦(欧州戦線)が終わりを告げた1945年5月8日。世界は、至る所廃墟だった。人間の破壊能力にはほとんど制限がないとすれば、最初からまたすべてを始める力は、ただ見事としかいいようがない。
終戦直後、数百万の人々は飢えに苦しみ疲れ果て、生きること以外何もできなかったに違いない。しかし同時に、ある理想主義の波が瓦礫(がれき)を越えて広がった。今までより平等で、平和で、安全な世界を作る決意の固まりのようなものだ。
社会民主主義の台頭
戦争の英雄であるチャーチルが1945年の夏、日本の降伏前だったのに選挙で再選されなかったのはそのためだ。人々は、特権階級と社会的貧困の時代に戻るために命の危険を冒したのではない。よりよい住まい、教育、無料の医療制度がすべての人に与えられることを望んだのだ。
右派のレジスタンスを率いるシャルル・ド・ゴールですら、自身の戦後最初の陣営には共産主義者を受け入れざるをえず、産業と銀行の国有化に同意した。西欧は全体的に、社会民主主義的福祉国家に向かい、左寄りとなっていた。これは「1945年コンセンサス」の一部だ。
1945年に設立された国際連合では、こうした強い願望が声を上げることもあった。アインシュタインなど多くの有名人が、世界単一政府は確実に国際平和をもたらすことができると信じていた。
その夢がはかなく消えたのは、冷戦により世界が2つの敵対するブロックに分かれたときだ。しかし1945年コンセンサスは西側で強化されていた。反ファシズムの頂点である共産主義は知的面でも感情面でも広くアピールした。そこでより広い平等性と機会をすべての人に約束した社会民主主義が、イデオロギー的な解毒剤として作用した。社会民主主義者のほとんどは猛烈な反共主義者だった。
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