多様性を競争力に--外国人CSRコンサルタントが考えるダイバーシティの生かし方

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多様性を競争力に--外国人CSRコンサルタントが考えるダイバーシティの生かし方

ピーター D.ピーダーセン イースクエア代表取締役社長

本日は「多様性を競争力に」というテーマでお話をさせていただきます。話の中で「ダイバーシティ(多様性)」という言葉を使いますが、その中には「インクルージョン(包容)」という意味が含まれているとしてお聞きいただければと思います。

多様な企業文化、多様な人々が能力を発揮して働ける会社であることが最終的に競争力に結び付かなくては、ダイバーシティに本気で取り組むことにはなりません。しかし、CSR(企業の社会的責任)ではつねに出てくる課題ですが、ダイバーシティも指標化や財務指標に反映できるかどうかといいますと、それは簡単なことではありません。

では、どこで多様性が競争力に結び付いているかを検証すればよいでしょうか。これには企業に競争力を与えているステークホルダーの観点が大切であると思います。競争力はわれわれ企業側が決めることはできません。われわれがイニシアティブを打ち出し、さまざまな活動をして、それに対して重要なステークホルダーが支持するかどうかで会社の競争力が生まれるわけです。本日はステークホルダーの観点からダイバーシティと競争力についてお話ししてみたいと思います。

文化人類学から見た日本社会の均質性と多様性

自己紹介から始めさせていただきますが、私は今日のこの会場における多様性の象徴的な存在かもしれません。生まれは北欧デンマークで、コペンハーゲン大学で文化人類学を専攻していました。2000年からイースクエアという会社を運営し、さまざまなテーマで企業のコンサルティングを行い、また5つの企業ネットワークを組んで仕事をさせていただいています。

日本との縁は1984年に栃木県の宇都宮高校に留学したのが始まりです。男子校ですので多様性も何もありません。毎朝、詰め襟の制服を着て、カラス軍団のような格好で自転車に乗って学校に通っていました。私は猛スピードを出していたので、「金髪の暴走族」と言われていたそうです(笑)。

日本は均質性が目立つ社会ですが、実際に日本に来て社会に参加してみると多様な側面も見えてきます。表面の下を見てみると、食文化、あるいは若者の表現の文化や伝統芸能的な文化などとても多様性に富んでいます。

日本はそうした二面性がある、面白い社会であると私は見ていますが、その特徴は「枠の文化」であることです。日本は枠によってその中身の価値が規定される文化であると言うことができると思います。

欧米では、自己紹介の際に自分は何をしているか、どんな仕事をしているかをまず先にいいます。ところが、日本では、特に大手企業に勤めている人の場合、会社名が先に来ます。その後、自分が何をしているか説明しない場合も少なくありません。

そういう意味では、日本は共通の枠にものすごく価値を見いだしている社会だと思います。最も大きな枠は日本という「国」ですが、企業の中でも同じで、特に大手企業の中では共通の枠が価値を持っています。

日本のような社会は内在化の力が強く、全体の規範というものが非常に強い形で個人に関わっています。それが「枠の文化」という形で、主張や表現、行動に影響を与えていくわけです。
 
 今までの日本企業ではその流れが強く、現状維持を変えるような主張や行動は求められてきませんでした。今までの日本が均質的な社会であったためかどうかは別として、企業にも最近までこうした動きが非常に強く働いていたわけです。

一方、欧米を見ますと、現状を変える流れが重んじられてきたと思います。自己主張をし、自分の発想で全体を変えるということが尊重されてきましたし、企業においても社会においても、これがよろしいと言われてきたわけです。
 
 どちらがいいとか悪いとかいうことではありませんが、日本文化、日本の企業には現状を変えるようなことが求められてこなかったのは、90年代までだと思います。今はより多様な要素をどのようにして企業の力に変えていくのか、そのときに新しい主張や行動をいかにして組織の力に変えていくのかということが、日本文化だけでなく企業文化においても問われてきているのだと思います。

これまでのダイバーシティとこれからのダイバーシティ

では、こうした文化や企業文化の特徴がダイバーシティにどのような影響を与えているか考えてみたいと思います。米国と日本はそれぞれの文化的特性の代表で、米国はLow Context Culture 、もともと共通の文脈が弱い社会です。対して日本は非常に文脈がものを言う、High Context Cultureです

米国は多様な移民によってつくられた国で、文化における共通的価値観、暗黙の理解など「文化的文脈」が弱いため、はっきり物事を伝え、具体的に説明をしなければ物事は進みません。こうした文化においては、多様性は美徳だと見なされてきました。

一方、日本のような社会はハイコンテキスト・カルチャーです。民族的に均質で長年にわたって築き上げられた共通的な価値観があり、「文化的文脈」がものすごく強い国です。すべてを言葉に表現しなくても理解してもらえるような期待があり、その文化の中では多様性は想定されておらず、「多様性による問題点」も明確化されてきませんでした。「多様性=逸脱」と受け止められてきたことは、20世紀後半までの日本的組織の特徴だったと思います。

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