「パリピ孔明」が実写化されるのも当然な時代背景 「劉備か曹操か」世相を映す鏡としての三国志

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中国史において、『演義』は兵法書(軍事学の教科書)としての扱いを受け、実際の戦争に参照されて成果をあげた他、人物の言動やエピソードをヒントとして、実際の政治的かけひきに活用されていた。驚くべきことに、フィクションであるはずの『演義』は、それを真実だと信じる人によって学習されると、現実に役立つ処世術やスキルとして使われ、歴史を動かすことができるのである。

政治的プロパガンダとしての有効性

そうした実用性とは別に、政治的プロパガンダとしての有効性もある。

中国で『演義』にもとづく人物評価が変化したのは、1920年代に入ってからであるが、中国近代文学の巨人である魯迅(1881~1936)が曹操の再評価を行い、ついで共産中国の建国者である毛沢東(1893~1976)が曹操を賛美した。彼らはいずれも、旧来の封建的価値観にとらわれない、革新的な人物として曹操を持ち上げることで、伝統中国を批判し、近代中国を建設しようとした。これは『演義』のフィクションを否定するというより、『演義』をベースとして、その価値観を批判するというやり方である。

その結果、中国では「文化大革命」(1967~1977)に代表されるような、大規模な伝統破壊が進められた。毛沢東は、これを正当化するプロパガンダとして、伝統中国で暗君や暴君、あるいは悪政を批判されてきた政治家たちを、封建的価値観に抵抗した英雄として賞賛し、その流れの中に自分と中国共産党とを位置づけたのである。その英雄の一人に数え上げられたのが曹操であった。

中国に限らず、映画やドラマなどのメディアコンテンツを通じて、社会の風潮は大きく変化するものである。

したがって、政治がメディアコンテンツの評価基準を決定し、それに沿った解釈に編集することは、人々の道徳を変更し、ものの見方や感じ方、そして行動パターンを変更することにつながる。かくして社会全体の価値観は変更されるのである。

中国ではそれを、歴史小説である『演義』によって行った。人々は、歴史とフィクションの区別が曖昧なまま、曹操の再評価を受け入れ、毛沢東の示すイデオロギーに染まっていった。

その後の中国では、1980年代から正史にもとづく新しい三国志解釈が進められた。それは一見すると学術的な試みに見えるが、政治的に有効なコンテンツである限り、三国志に多様な視点が許されることはない。

たとえば、毛沢東は中国統一前に諸葛亮を賞賛したことがあるが、それは南方から攻め上る自身に引き当てて正当化したかったからである。同じように、仮に現代で諸葛亮評価が盛り上がったところで、そこには中国共産党に対する忠誠を要求するなどといった、政治的なプロパガンダが潜んでいる。

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