小日本主義の本質を脱亜論と比較する。
石橋湛山が歿(ぼっ)して50年。それなら歿年は、筆者が物心ついて、ほどない時期。もちろん湛山を知るわけはない。長じて歴史を学び、名前をしばしば目にしても、本格的に調べたり学んだりすることはなかった。
それが一挙に慣れ親しんだのは、やはり『戦う石橋湛山』という書物が、東洋経済新報社から1995年に出てからだろう。
言わずと知れた半藤一利氏の評伝。版を重ねてベストセラーになったのは、印象的な書名も大いにあずかって力がある。巨人の風貌をいいつくしたタイトル・センスには、脱帽のほかない。
「戦い」の公的生涯
湛山の公的生涯は、確かに「戦い」だった。つとに、自他とも認めていることでもある。本人いわく「米英等と共に日本内部の逆賊と戦っていた」とは、「敗戦」の三日後の日記。
さらに戦後の「回想」を読んだ哲学者の神澤惣一郎氏によれば、「石橋の評論には常に安易な時代風潮に対する戦いが存在し、時には嵐に立つ嶮(けわ)しい予言者的風貌さえ感じられ」た。
そんな「戦い」に気づかせてくれたのは、ひとえに半藤氏の見識・センスであって、今あらためて感じ入っている。
というわけで、読みなおしてみた。その「戦っていた」という典型は、やはり戦前のいわゆる「小日本主義」である。
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