ノンフィクション作家の保阪正康氏は、石橋湛山を「思い出」にしてはならないと説く。
石橋湛山が首相に在任したのは、わずか65日である。1956年12月23日から翌年の2月25日までだ。
昭和後期は東久邇宮稔彦首相から竹下登首相まで17人の首相がいるが、その中では最も短期間である。短期間であるから存在感が薄いかというと、そうではない。むしろ昭和前期を含めて最も歴史的な首相として名が残っているのではないか。
現代史の中に「石橋湛山首相」が存在することで、この国は次代の者に安心と信頼、そして責任というものを託していると私は考えている。その理由を初めに明確にしておきたい。
次の3点が、理由である。
1、真正の保守主義と革新の合一
2、言論の優位性と一貫性の姿勢
3、揺るぎない国家目標の設定
石橋こそ日本の保守本流
このほかにも石橋哲学、あるいは石橋思想と評してもよい人生観があるように思うが、さしあたりこれら3点を抽出することで、石橋の存在の重さに容易に気がつくはずである。そしてこれら3点を実践した石橋こそ、日本の保守本流といっていいであろう。
私たちはともすれば吉田茂をもって現代史の保守本流と語るのだが、ここには大きなトリックが隠されているように思う。
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