田中角栄は訪中直前に病床の石橋湛山を訪ねていた。
今年6月、政界に超党派の議員連盟「石橋湛山研究会」が発足した。死去から半世紀が経ったにもかかわらず、その主張や生き方に学ぼうとする動きが起こるのはなぜなのか。
『週刊東洋経済』11月18日号の創刊記念号特集は「今なぜ石橋湛山か」。豊富なインタビューや寄稿を基に湛山の軌跡を振り返る。
田中角栄元首相の私邸、いわゆる「目白邸」に石橋湛山が来訪していたことは知っている。田中が訪中直前に湛山邸を訪れたことも知っている。しかし、残念ながら私自身は湛山に直接会ったことはない。
だが田中の行動を通して、中国との付き合い方、ひいては日中国交正常化実現に向けた考え方や行動力において、田中と湛山はとても似ていると考えている。
田中が訪中を決断したのには、1971年にキッシンジャー極秘訪中、72年にはニクソン訪中という大事件が起き、「米国に後れてはならない」という背景はあった。
4つの力が必要
しかし、それ以上に「国益を見据えれば、中国に行くべきだ」という信念によったものだと思う。あれだけの市場を抱える中国を外した貿易立国は成り立ちえないと強く考えていたのではないか。
この記事は有料会員限定です。
ログイン(会員の方はこちら)
有料会員登録
東洋経済オンライン有料会員にご登録いただくと、有料会員限定記事を含むすべての記事と、『週刊東洋経済』電子版をお読みいただけます。
- 有料会員限定記事を含むすべての記事が読める
- 『週刊東洋経済』電子版の最新号とバックナンバーが読み放題
- 有料会員限定メールマガジンをお届け
- 各種イベント・セミナーご優待
トピックボードAD
有料会員限定記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら