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田中角栄と石橋湛山が「よく似ている」理由 元首相秘書官・小長啓一氏インタビュー

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田中角栄は訪中直前に病床の石橋湛山を訪ねていた。

元田中角栄首相秘書官、弁護士 小長啓一氏
小長啓一(こなが・けいいち)/元田中角栄首相秘書官、弁護士。1930年岡山県生まれ。通商産業省(現:経済産業省)入省。通産相秘書官、首相秘書官として田中角栄に仕える。通産事務次官、アラビア石油社長などを経て2007年に弁護士登録。島田法律事務所に所属

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今年6月、政界に超党派の議員連盟「石橋湛山研究会」が発足した。死去から半世紀が経ったにもかかわらず、その主張や生き方に学ぼうとする動きが起こるのはなぜなのか。
『週刊東洋経済』11月18日号の創刊記念号特集は「今なぜ石橋湛山か」。豊富なインタビューや寄稿を基に湛山の軌跡を振り返る。
『週刊東洋経済 2023年11/18特大号(絶望の中国ビジネス)[雑誌]』(東洋経済新報社)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

田中角栄元首相の私邸、いわゆる「目白邸」に石橋湛山が来訪していたことは知っている。田中が訪中直前に湛山邸を訪れたことも知っている。しかし、残念ながら私自身は湛山に直接会ったことはない。

だが田中の行動を通して、中国との付き合い方、ひいては日中国交正常化実現に向けた考え方や行動力において、田中と湛山はとても似ていると考えている。

田中が訪中を決断したのには、1971年にキッシンジャー極秘訪中、72年にはニクソン訪中という大事件が起き、「米国に後れてはならない」という背景はあった。

4つの力が必要

しかし、それ以上に「国益を見据えれば、中国に行くべきだ」という信念によったものだと思う。あれだけの市場を抱える中国を外した貿易立国は成り立ちえないと強く考えていたのではないか。

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