まずはおさらいしたほうがよい。半藤氏の簡明・的確なまとめによれば、「狭い領土にこだわらず、世界を領土として自由貿易により生きる、それが戦後日本の大いなる成功を見た。つまり、明治このかたの大日本膨張主義よりも、むしろ湛山の小日本主義が資源貧弱国日本にはいちばんふさわしい生き方であった」。
いわゆる「狭い領土にこだわらず」とは、台湾・朝鮮半島・樺太・満洲など、領有する植民地・従属地の存在は、日本の貿易・経済にとって、有害無益だから放棄すべし、という所説をさす。
1920(大正9)年の貿易統計では、海外領土・租借地の貿易は9億円あまり、それに対しアメリカ合衆国とは14億4000万円近く、イギリスとはインドをあわせて9億円以上の貿易があった。つまり日本の経済を成り立たせていたのは、海外の植民地よりも米英との関係なのである。
「経済合理性」に裏打ちされた小日本主義は当然、政治・外交にも結びついていた。
植民地・従属地の放棄は、中国の民族主義の主張と軌を一にする。実現すれば「排日」運動の緩和、あるいは「満蒙(もう)問題」の「根本」的な「解決」にもつながり、アメリカとの対立も緩和にいたるはずだった。
すべて逆をいったために、泥沼の日中戦争から太平洋戦争の破滅を招いたのである。
これほど明快で有利、ゆえに戦後、高い評価を受けた小日本主義は、しかし発表した当時は、大多数の輿(よ)論と真っ向から対立した。だからこそ「戦い」であり、また「予言者」だったというわけである。
中国観の相違
小日本主義とは対蹠(せき)的に、評価が戦後に低落したのは、福澤諭吉の「脱亜論」である。いずれも西洋と中国のはざまにあった日本の針路という同じ構図なので、比較に都合がよい。
明白なのは、中国観の相違である。一方は「悪友」とみなして排斥、脱却の対象とした。他方は「同情」して、その意思・主張を尊重する。
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