読者の方々には言わずもがなだとは思うが、『三国志』とは、古代中国の三国時代(220~280)について書かれた正史(朝廷が編纂した歴史書)である。
三国時代の流れとしては、漢(前漢:前206~8、後漢:25~220)の末期に登場し、皇帝を擁立して天下に号令をかけた曹操(155~220)が、長江以北の大部分を支配下に収め、その子である曹丕(187~226)が「禅譲」(皇帝が臣下に位を譲ること)によって皇帝位を獲得し、魏(220~265)を建国する。漢の皇室につらなる劉備(161~223)はこれに反発し、四川盆地を中心とした南西部に蜀(221~263)を打ち立て、漢の存続を主張した。
この混乱に乗じて、長江以南の南東部に割拠していた軍閥も、呉(222~280)を名乗った。かくして、中国が3つに分かれ、互いに争ったというものである。
その後、魏からさらに禅譲を受け、中国を統一した晋(西晋:265~316、東晋:317~420)が正史として『三国志』を編纂すると、三国それぞれに人物伝が立てられ、1000を超える人物たちの活躍にスポットライトが当てられた。これが群像劇としての三国志を面白くさせているのである。
日中両国でこれほど人気なのはなぜか
とはいえ、長い中国の歴史において、こうした戦乱は日常茶飯事であり、それぞれの時代には魅力的な人物が登場する。にもかかわらず、日中両国でこれほど人気なのはなぜか。それは、『三国志演義』(以下、正史『三国志』を正史、『三国志演義』を『演義』とする)という書物が大きな役割を果たしている。
『演義』は、明王朝の時代(1368~1644)に登場する歴史小説で、正史をベースにしながら、かなり思い切った虚構や大げさな表現が加えられている。これが中国でも大変な人気を博し、演劇などで歌や踊りを交えながら広く親しまれた。日本でも江戸時代に入って盛んに流通し、それを題材とした創作物がつくられたりしたことから、中国史の中でも特に人気を博した。いわば三国志は、昔から二次創作とメディアミックスで有名になったコンテンツだったと言えるだろう。
「孔明」とは、正史に登場する諸葛亮(181~234)の字(あざな:元服後につける名前)である。彼は劉備を支え、蜀の「丞相」(宰相)として活躍した。『演義』では、人間の心理や状況の推移を見通し、次々に計略を成功させた他、天候を操り、幻術をくりだすという、人間離れした能力をもった人物として描かれる。
『演義』は漢の復興を目指す劉備と、それを支える諸葛亮に強い思い入れをもっており、その反動として、曹操は漢を滅ぼす流れを作った大悪人として貶められている。ここで三国志の主人公は、諸葛亮へと大きく比重を移す。
『演義』人気はすさまじく、日中両国で正史は読まずとも『演義』は読んでいる、という状況を生み出した。さらに『演義』は、現実の社会を変えるはたらきをするのである。
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