建築家として働き始めて、50年以上にもなります。5月13日に、アメリカ建築家協会の2011年度金メダル授賞式がありました。この賞は、近代建築の数々の傑作を生み出した建築家、たとえばル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトに贈られています。グレン・マーカットのように、スタッフを置かず一人ですばらしい住宅を造り続けてきたスタイルのある建築家にも贈られている。
私が受賞したということは、ハードルが下がったということかもしれませんね(笑)。建築の質を落とさないよう努力を続け、使う人たちにも評価された。真摯に建築に向き合ってきた結果でしょう。
最初に「建築」に興味を持ったのは、子どもの頃のことでした。遊びに行った親戚や友達の家は、大きさや間取りが、それぞれ大きく違っていた。私が子どもだった昭和10年ごろは、みんな木造の一軒家に住んでいたのです。一軒一軒に独特のにおいがあり、明るい光が差し込む家もあれば、落ち着いた雰囲気の家もありました。
丹下先生から大きな影響
特に印象に残っているのは、今も品川区にある土浦亀城(つちうらかめき)邸です。土浦先生ご自身も著名な建築家で、そのご自宅は、外装が特徴的なモダニズム建築でした。今思い返しますと、親に連れていってもらった横浜の港で見た船の印象とも重なってきます。デッキがあって、手すりがあって……吹き抜けで中2階のスペースがあった土浦邸にも、そういうところがありました。
当時から絵を描くことや、模型飛行機を作ることが好きでした。だから、航空機の設計をやりたいとも思っていた。しかし、戦争直後で日本の航空機製造が禁止されていたこともあって、建築のほうに進みました。
大学では、丹下健三先生にも教えを受けました。丹下先生が広島ピースセンターの設計で、大きな注目を集めていた頃のことです。丹下先生は、白紙からテーマを考え、スタッフも含めてディスカッションをしながらアイデアを詰めていきました。
建築の進め方にはさまざまなやり方があり、一人でやっている建築家もいるし、1000人以上のスタッフが組織化されて動く事務所もある。ディスカッションなどせずに、すべてトップの指示どおりにスタッフが動くというやり方もあります。
その点私は、丹下先生の建築の進め方に、大きな影響を受けました。自分の目が行き届く範囲の組織で納得がいく建築を造り、竣工式では施主や関係者に心からの笑顔でごあいさつする。それが建築家としての喜びでもあります。
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