いい建築とは、必ずしも住み心地や使い勝手がいいだけのものではありません。パリの郊外にあるル・コルビュジエのサヴォア邸は、住むとなれば努力が必要でしょう。また、シドニーにあるオペラハウスの外観は彫刻として見てもすばらしいものですが、内装まで建築家の思いどおりになっているわけではない。ガウディのサグラダ・ファミリアは、いまだ建築中でありながら世界的な評価を得て、バルセロナの象徴的な存在になっている。
アートの場合、作家の思想を反映したオブジェであり、評価が比較的しやすいでしょう。しかし、建築の場合は耐久性の問題もありますし、やはり使い勝手が問われることもあります。その建物が何のために存在するのかという社会性も必要です。
建築家自身がいいと思うものを造っていく
このように、建築にはいろいろな価値があります。そして、必ずこの価値を追求して造らなくてはいけないという答えがあるものでもありません。建築家自身がいちばんいいと思うものを造っていくしかない。同時に、才能の限界というものもあります。当たり前ですが、できもしないものを造ろうとしてもダメです。依頼を受ける際、どんな建物を求めているのかというすべてが決まっているわけではありません。依頼者や世の中の潜在的な願望を探し出し、建築を通じて形にする。それが建築家の仕事なのです。
たとえば、宗教建築を造る際には、礼拝のときにどのような雰囲気であるべきかといったことに思いを巡らせます。1996年、大分県中津市の郊外に「風の丘葬斎場」を造りました。葬斎場には、居住地に近くて風情がなかったり、施設が機能的すぎたりして、最後のお別れをするにふさわしい荘厳な雰囲気が感じられないところもあります。風の丘葬斎場の場合、土地にもある程度余裕がありましたので、大きな公園を造り、その中に葬斎場を造りました。ご近所の方は公園として訪れるだけでも楽しめますし、葬儀に来た方も、その風景を眺めて心を静めることができます。
この葬斎場は、中津市の市民の方々から、すばらしい場所で葬儀を挙げることができると、感謝されました。中津市民であれば市民料金で風の丘葬斎場を使えるのですが、市民以外でも葬儀を挙げることができます。先日ある東京の方にお会いしたら、九州にあるその葬斎場で葬儀を挙げたいと希望されていました。このように、使う方々に喜んでもらえることも、建築の評価として、とても大切なことです。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら