東大には入れませんでしたが、悔いのない浪人生活を送れたMJさん。
浪人してよかったことを聞くと「人間として丸くなれた」との答えが返ってきました。
「2浪目以降、河合塾の講師や、ほかの生徒から受け答えが面白いっていじられるようになったんです。答えを当てても外してもなぜか笑いが起きるっていう謎ポジションにいて。
浪人していた友達から、『反応が変で笑った後、勉強に集中できてよかった』と言われて、自分みたいな人間でも人の役に立てて、生きてきてよかったなと思ったんです。中高時代の自分はプライドが高く、感謝されることがなかったので、浪人のアットホームな環境が、人間性を育ててくれたと思っています」
慶應に入ってからのMJさんの生活は、2浪開成出身という経歴によって思わぬ恩恵を受け、楽しく明るい大学生活を送れたそうです。
「開成時代の同級生や後輩が慶應の上の学年にいることに気づき、すべての履修の情報が入ってくるという思わぬ利点に気づきました。そこで、2年生でサークルの代表をした際に、新歓の履修相談ブースを5倍に拡張し、情報を仕入れてメンバーに共有することで、歴代最高の300人くらいの新入生がサークルに入会してくれたんです。
また、日吉キャンパス付近で開成のOBさんが塾を経営していたので、『サークルの配布冊子に広告を載せさせてください』と営業に行ったところ、快く応じてもらいました。それ以外の仲間もみんな仲良くしてくれて、手伝ってもくれて、イジイジした性格が変わりました。いい大学生活でした」
慶應の塾生代表にもなった
さらに慶應学内の選挙で当選し「塾生代表」にもなり、学生代表として周囲と関わり続けたMJさん。現在、就職してから海外ビジネスの仕事に関わっています。
「自分は残念ながら、開成で周囲にいたプロフェッショナル、真の努力の天才になれませんでした。1つのことを365日突き詰められるような人間じゃないと、わかったんです。だから、自分は人にお願いして仕事を生み出すプロになろう、最強のジェネラリストになろうと思いました。
今も、つたない英語で、外国の方とやりとりしています。今までの人生で両親をはじめ、大勢の方に支えてもらいました。これからは恩返しをする番だと思っています」
浪人の経験で角が取れた彼の人間性は、それまでの苦労を語る瞳と、間違いなく大勢の人に好かれるであろう、柔和な笑顔に現れていました。
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