1991年にはグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)が本拠地となり、「神戸のプロ野球チーム」となった。オリックスにファンが注目し始めたのは1994年、イチローが210安打を打って大ブレークしてからだろう。1995年の阪神・淡路大震災後はユニフォームの袖に「がんばろう神戸」のスローガンを縫い付けて、復興の象徴になった。
近鉄バファローズも当初は弱かったが1974年、阪急から移った西本幸雄が監督になってから強くなった。
近鉄は日本一の営業距離を誇る私鉄ではあるが、後に延伸して大阪難波まで伸びたものの、当初は大阪都心の東はずれの上本町から奈良県、京都府、三重県をつなぐローカル線が大部分だった。沿線は新興住宅地が多く、住民はサラリーマン家庭が多かった。「地元愛」が薄い住民が多く、本拠地藤井寺球場の夜間照明施設は、近隣住民の反対で30年以上も設置できなかったのだ。
しかし1997年に大阪ドーム(現京セラドーム)が完成し、これを本拠としてからは「大阪のチーム」となりつつあった。1999年からチーム名も大阪近鉄バファローズとなった。
オリックス・バファローズの誕生
こうしてアイデンティティを高めてきた2チームだったが2004年、慢性的な球団赤字に悩む近鉄がオリックスに身売りを持ちかける。球団オーナー側はこれを機に、2リーグ12球団を1リーグ10球団にする「球界再編」を断行しようとした。
しかしプロ野球選手会が猛反発、古田敦也選手会長以下、12球団選手がストライキを断行したことで、1リーグ化はなくなり、東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入、2リーグ12球団が維持された。
「めでたし、めでたし」という話ではあるが、オリックスと近鉄の合併はそのままで、別の歴史を有する阪急・オリックスと近鉄は、合併してオリックス・バファローズになったのだ。
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