「朝鮮出兵」で秀吉が心に抱いていた"真の狙い" なぜ実行しようとした?キリスト教との関係

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16世紀後半になると、イギリスやオランダ、フランスもそれに加わり、アジア・アフリカ・南北アメリカの領土獲得や植民地交易を推し進めた。大航海時代と聞けば、ロマン溢れる冒険といったイメージがあるかもしれないが、その実態は、非ヨーロッパ住民への強奪や虐殺という血塗られたものでもあったのだ。

スペインとポルトガルは、1494年にトルデシリャス条約を結び、西アフリカ・セネガル沖の島の西の子午線を基準に、その東側の新領土はポルトガル領、西側はスペイン領とすることを決めてしまった(1529年には、スペインとポルトガルのアジアにおける勢力圏をわけるためのサラゴサ条約が締結)。

日本にも宣教師たちがやってくる

そんななか、1543年にポルトガル人が乗った船が種子島(鹿児島県)に漂着、火縄式鉄砲を伝えた(船の持ち主は、明の人・王直)。1549年には、イエズス会士のフランシスコ・ザビエル(イエズス会:キリスト教の教派の1つ、カトリック教会の組織)が鹿児島に上陸、九州各地や山口を巡り、布教に努める。

どうする家康 大河
日本に宣教師たちが続々とやってくる。写真はフランシスコ・ザビエル像(写真: すなすな3rd / PIXTA)

スペイン人は1584年に来日し、フランシスコ会(イエズス会と同じく、カトリック教会内の組織の1つ)の宣教師が布教活動を展開した。

では彼らは何のために、キリスト教国であるポルトガルやスペインから日本にやってきたのか。

もちろん、布教や交易といったこともあったが、その真の目的だと考えられるものは、来日した宣教師ヴァリニャーノがマカオからフィリピン総督に宛てた手紙(1582年)の中で明らかとなっている。

ヴァリニャーノは「日本の国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服は困難だ」と書いているのだ。つまり、彼らの隠された目的は「日本征服」にあったと考えられる。

それだけではなく、最終的には明国をも軍事攻撃により征服したいと思っていたようだ。また、貿易品(鉄や生糸など)を確保するためには、これらを数多く生産する明国を征服しなければならないとも考えていたようだ。

ヴァリニャーノは、多くの人が明国征服について語り、さまざまな計画を立てていることを耳にしたと手紙に書いているので、キリスト教国の明国攻撃は現実味を帯びていた。

イエズス会の宣教師は、改宗した日本の大名(いわゆるキリシタン大名。例えば肥前国の有馬晴信など)に武器支援を行った。軍事支援に感謝し、キリスト教に改宗した大名もいた。

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