「朝鮮出兵」で秀吉が心に抱いていた"真の狙い" なぜ実行しようとした?キリスト教との関係
ガスパル・コエリョ(イエズス会日本準管区長)は「日本66カ国すべて(の大名)が改宗すれば、フェリペ国王(スペイン国王)は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊を得て、いっそう容易に明国を征服することができるであろう」と述べている。
戦国大名のすべてをキリシタン(キリスト教徒)にして、その大名の軍隊で、労せずして明国を征服しようとしたのだと考えられる。
信長にも明国征服の考えがあった?
明国の征服を考えていたのは、秀吉や、キリスト教国だけではなかった。実は信長にもその考えがあったようだ。
1582年、宣教師フロイスがイエズス会総会長に宛てた手紙には「信長は、毛利を平定し、日本66カ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分かち与える考えであった」と記されている。
つまり、信長に明国征服の考えがあったというのだ。この情報は信長から直接聞いたものなのか、又聞きなのかはわからない。しかし、信長政権の中枢に食い込んでいた宣教師なので、まったく根拠のないデマ情報ではなさそうだ。
ではなぜ、信長は明国征服を考えていたのか。宣教師らによる情報で、信長はすでにイエズス会が、日本以外のアジアにも進出していることを知っていた。スペインやポルトガルの「明国征服論」も、信長は情報として得ていた可能性もある。
なお、イエズス会士が同会の総会長に宛てた手紙(1587年)には、生前の信長と秀吉の会話が記されている。
秀吉は信長に「イエズス会士は日本を征服し支配する目的をもっている」と話すと、信長は「あのように遠いところ(ポルトガルのアジア支配の拠点・インドのゴアのことか)から、その目的を達成するのに十分なだけの兵士が来るのは不可能だ」と語った。
「信長の明国征服論がどこから出てきたのかということを考えた場合、ポルトガルという国への対抗心が明国征服論を生み出したとみてよいだろう」とする学者もいるが、筆者は対抗心という理由だけで、信長が明国征服を計画するのだろうか、と疑問を抱いている。
豊臣秀吉による朝鮮出兵も、その真の狙いは明国征服。秀吉はなぜ明国を支配しようとしたのか。
ポルトガルに先に明国を征服されたら、次に狙われるのは日本である。だからその前に行動を起こして、日本が明国を獲る。そのくらいのことは考えていたのではないか。筆者は、キリスト教国が行動を起こす前に、先手を打つという意識があったのではないかと推察する。
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