「団塊ジュニア」50歳会社員が直面した人生の岐路 「仕事に恵まれた時代」が終焉し見えてきた不安

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「今で言うガクチカ(学生時代に力を入れたこと)を伝えると、面白いように内定が決まるようになりました」。オーケストラでの企画係の経験について、各社の面接担当者は食い入るように話を聞き、「すごいことをしてましたね」と称賛された。旅行会社からは、即戦力として期待された。面接は盛り上がり、とんとん拍子で話が進んでいった。

社会人となる1995年の年が明けて間もなくのころ、国内外を震撼させる大災害が発生した。死者6000人を超えた阪神淡路大震災。就職直前の3月には、通勤・通学客を無差別に狙い、都内の地下鉄路線に猛毒のサリンをまいた「地下鉄サリン事件」が起きた。何とも言いがたい社会不安が国中を覆う中、太田さんは大学を卒業し、大手旅行会社に就職した。

とんとん拍子で進んでいく太田さんだったが…

採用者数は、バブル世代の約5分の1にすぎない200人程度。震災の影響で、太田さんが希望していた出身地・関西の支店に新人を一人たりとも配属できるような状況ではなかった。九州や中部など希望していなかった初任地への配属に納得がいかず、会社から我慢するよう求められたものの、すぐに辞めてしまった同期の関西出身者が数人いたという。

「僕も含めてなんですけど、スタートの段階で結構つまずいた感じがありました」。都内の支店に配属された太田さんは、中央省庁の出張や調査事業とか海外案件を取り扱う担当を任せられた。数年後、入社面接時に伝えていた音楽関係のツアー企画への異動が叶った。音楽関係の旅行を担う専門チームが立ち上がるという幸運にも恵まれた。

太田さんのツキはさらに続く。社内の起業制度に応募した企画が通り、新たな仕事を始めることになった。映画撮影のロケ地誘致がもたらすメリットなどを自治体に持ち掛け、予算化を促し実現を図る。その映画が公開された後は、ロケ地を巡るツアーを開催し、地域の活性化につなげるというプロジェクトだ。

「ロケ地にお金を落としてもらうことによって、その地域が潤うような仕掛けです。誘致の段階からテレビ局や映画会社ともタイアップして話を進めました。地域とメディアをつなぐ立場のような感じです。10年間で100作品ぐらいに関わったと思います」

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