もともと、旅行会社に終身勤め上げようとは考えていなかった。広がった人脈網から、転職の誘いが絶えることはなく、地域活性化コンサルタントとして起業を勧める声も幾度となく届いた。とは言え、専業主婦の妻と子どもを抱えた身だ。早期の独立は、およそ現実的なシナリオではなかった。しかし、そのトリガーを引いたのが、コロナ禍だった。
会社の先行きは見通せないまま、定年まであと10年
入学した東日本エリアの大学院では、時間のやりくりをしながら、平日夜の授業に出席。必要な単位を取得する一方、コンテンツツーリズムに関する論文を書き上げ、無事に2年間で修士号を獲得した。太田家では一時期、大学院生の太田さんを筆頭に、大学生から中学生までの子どもたちが机を並べて学問に励んでいた。
太田さんによれば、旅行会社出身の大学教授や准教授、非常勤講師は引く手あまただという。大学院で修士を修めた太田さんが今見据えているのは、会社勤めを続ける一方、大学の非常勤講師として教鞭をとりながら、自らの研究活動を続けることだ。一番下の子どもが大学に進む頃をメドに、地域活性化コンサルタントとして独立することをうかがっている。
「若い人を中心に『旅行なんか、行かなくてもよくね? 特に、海外なんか危ないし』という考え方が広がっているのは間違いありません。われわれの世代が、異文化に触れられる良い機会だと言ったところで、人々の考え方は変わってしまいました」
人生の折り返し地点である50歳目前の48歳で、コロナの激震に見舞われた太田さん。コロナで始まった旅行離れの流れは、元通りになることはないと確信しており、会社の先行きは見通せないままだ。定年まで10年を迎えた50歳という節目の今こそ、絶好の転機と受け止めている太田さんが、新たなキャリアをつかみ取り、自分なりの人生を切り開いていくことを願ってやまない。
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