「真田昌幸」敵も味方をも翻弄し続けた軍事の天才 変化をつぶさに捉え家を守る決断をし続けた知将

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昌幸は表面上、家康に従いながら着々と独立に向けて画策を行います。そして1584年、家康は秀吉との対決を決意。小牧・長久手の戦いです。

このとき昌幸は、上杉の抑えとして国許に残りました。昌幸としては絶好のチャンスです。

昌幸は北条と小競り合いをしながら、沼田とその周辺を事実上真田領として確保します。当然、この動きに北条は激怒しますが、肝心の家康が秀吉との決戦に挑んでいることもあり、為す術がありませんでした。さらに昌幸は上杉への接近も怠りません。

昌幸のベストシナリオは家康が秀吉に敗れ、その勢力が一気に下がることだったのでしょうが、結果は局地戦では家康が勝利し、秀吉は家康との和睦を選びました。尾張から撤兵した家康を待っていたのは、激怒した北条のクレームでした。

NHK大河ドラマ『どうする家康』 ムロツヨシ 羽柴秀吉、松本潤 徳川家康
秀吉は家康を利用することで東日本を押さえ、天下統一、さらなる野望に向けて動き出します(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)

上杉を使い家康との決戦に臨む

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もはや猶予はないと悟った家康は軍を甲府に進め、昌幸に沼田の返還を迫ります。昌幸は返還を拒否し家康は浜松に引き返しますが、これは最後通牒だったので、次は本格的に真田を攻めることを意味しました。

昌幸は徳川との手切れが確定的になったことを受け、正式に上杉景勝に次男・信繁(真田幸村)を人質として送り、上杉に臣従します。景勝にとっても信濃への徳川・北条の進出は望むところではなく、これを受諾。

こうして昌幸は、家康との決戦に挑むことになり、見事に勝利しますが、昌幸の計算はここで行き詰まります。秀吉は真田を徳川傘下に組み込んだのです。さらには、この騒動の間に北条氏が真田の名胡桃城を襲います。この北条氏の行動が秀吉の怒りを買い、北条征伐につながっていくことになります。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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