1個1080円する「日本一のりんご」即完売の凄さ フルーツ生産者を育成するコーチの技【後編】
「この枝、この果物がもつ潜在能力を100%引き出してやる。それが生産者の務めだ。色・形のいいものなんて誰にでもつくれる。どこにもないような味の果物、本当においしいものは誰がつくれるのか。それを探したもん勝ちよって」。工藤さんはりんご栽培への想いを、石部さんにこう語っていたという。
工藤さんは、りんご園を営む両親のもとで1人息子として生まれ育った。「エキスパートへの近道」として、大学にはあえて行かず、青森県のりんご試験場に入り、20歳までの2年間、そこで栽培技術を専門的に学んだ。
「青森県でいちばんになる。はなから、気持ちはそこにあったので、何の迷いもありませんでした。それ以来、いつも300円のハンコ1つで、500万円、1000万円の借金をしながら、りんご作りに多額を投じてきました。秋に台風でも来ると3000万、5000万円が一気に入ってこなくなるような世界。でも俺はそこでニヤニヤ笑えるやつはまだまだやれると思っています。俺も苦しいなら、よそはもっと苦しいはずだって」
繰り返し不思議な夢を見る
「りんごにものすごい恋した」と語るほど、工藤さんがりんご栽培に一途を貫くきっかけは、繰り返し不思議な夢を見た、20歳のころにさかのぼる。
「汚い坊さんが出てきて、俺を旅に連れて行こうとするんです。同じ夢を2度見ました。宗教ってなんだろうと興味を持ち始めて勉強するようになり、世界中のあらゆる宗教に触れて、いちばんしっくりきたのが釈迦でした。
すべてを捨てて苦悩の末に悟りを開いていく釈迦の教えが気に入って、俺も農業界のすべてを原点から考え直してみようと思いました。りんごの栽培方法も、指導法も全部違うんじゃないかと。苦しいときはどうしたらいいのか。勉強だと。悔しいときはどうすればいいのかと。全部自分が変わればいいだけ。相手は変わらない、そう思ってりんご作りに没頭しました」
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