「ダルビッシュの相棒」が見た非凡なる才能の裏側 元専属キャッチャーが感じてきた「一流の哲学」
「ピッチングスタイルを変えたのか。いや、いつ全力で投げるのだろう」
相手にそう思わせ、バッター心理を逆手に取りながら、スローカーブで翻弄して打ち取っていきました。
それでも小笠原道大選手との二死満塁の場面では、力を振り絞って148キロのストレートを投じてピンチを脱しました。
実際はケガをしてあれしか方法がなかったのですが、残された方法で最大限の投球をする。万全ではないことはみずからが一番分かっていたはず。そこまでして投げてくれたことに頭が下がりました。もう配球うんぬんではありません。「投げることへの執念」「投げることへの責任感」「バッターを打ち取る嗅覚の鋭さ」を感じました。
味方投手のことまで考えて投げる深謀遠慮
日本ハム時代、ダルビッシュ投手に「弱点」は見当たりませんでした。それどころか彼の存在によって、相手チームは先発ローテーション変更を余儀なくされたと思います。エース同士の直接対決で負けて3連敗するぐらいなら、先発4、5番手を送り出し、「勝てばもうけもの」という、あきらめの境地だったのではないでしょうか。
ダルビッシュ投手は、火曜日から始まる6連戦の真ん中の金曜日に先発していました。当時の日本ハムは2006年・2007年・2009年と優勝していました。リードした状態で試合の終盤を迎えることが多く、リリーフエース・武田久投手の出番が多くなりました。
ただ、ダルビッシュ投手は毎年200イニングぐらい投げ、完投も10試合ぐらいありました。ふつう8回、9回に投げるピッチャーは気が抜けないものですが、「きょうはダルだから休めるかなぁ」。あの武田久投手でさえ思わずそう漏らすぐらいでした。
「次の試合のことを考えて内角を多めに投げた」
ダルビッシュ投手はそんな発言をしたことがあります。本格派・右投手の彼が第1戦で右バッターの内角をツーシームでえぐる。その軌道の残像が消えやらぬうちに、第2戦で技巧派・左投手の武田勝投手が右バッターの外角にチェンジアップを落とす。ストレートのスピード差も150キロと130キロで20キロあります。相手バッターはついていけません。
2007年から2009年あたりまで、ダルビッシュ投手と武田勝投手のセットは、とても機能した素晴らしい先発ローテーションでした。だから、日本ハムが強かったわけです。
それにしてもリリーフピッチャーや翌試合の先発ピッチャーのことまで深く考えて投げられるピッチャーが他にいるでしょうか。ダルビッシュ投手の「深謀遠慮」。やはり「野球脳」が高いのです。
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