もちろん、最も大事なのは神様をまつること。コロナ禍においても、感染対策や規模の縮小をしつつ、年中行事は休まず行った。具体的には「福は内、鬼は内」と独特の掛け声をする節分、疫病退散のためにさくら草を境内に並べる鎮花祭(はなしずめのまつり)、けがれや罪を払う夏越の大祓(なごしのおおはらえ)などなど。
大久保宮司が「これらがイベントだったら中止にしていた。さくら草を並べるのも、あくまで神様にお見せするため」と断言するように、いずれも神事だからこそ決行した。神様に喜んでいただくことを第一に、神社の運営をしていることが大久保家の誇りなのだと、16代目宮司は目を細めた。
人々を見守り続ける鬼の王様
稲荷鬼王神社がある一帯は、かつて「西大久保村」と呼ばれていた。その後、合併や改称があり、終戦後に「歌舞伎町」という地名になって、歓楽街として栄えていった。そのはるか昔から、稲荷鬼王神社はこの土地で神様をまつり続けてきた。神社の歴史の一部といっても過言ではない歌舞伎町を、大久保宮司は「変化に対して柔軟で、大抵のことを受け入れる許容量の広い街」と称する。
「新宿コマ劇場がなくなっても、ゴジラビル(新宿東宝ビル)ができて、新しいランドマークになっています。とてもいいことだと思います。新宿ゴールデン街も、昔はどこも一見さんお断りで、誰かの紹介がないと入れなかったけど、今は気軽に行ける。親しみやすくなりましたね」と、変化を楽しんでいるようだった。
歌舞伎町に鎮座する鬼の王様は、これからも力強く、にらみをきかせて、この街と人々を見守り続けていくのだろう。
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