歌舞伎町「鬼の王」が鎮座する神社が愛される理由 「願いが多い人は、そのぶん努力していける人」

✎ 1〜 ✎ 9 ✎ 10 ✎ 11 ✎ 12
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

もちろん、最も大事なのは神様をまつること。コロナ禍においても、感染対策や規模の縮小をしつつ、年中行事は休まず行った。具体的には「福は内、鬼は内」と独特の掛け声をする節分、疫病退散のためにさくら草を境内に並べる鎮花祭(はなしずめのまつり)、けがれや罪を払う夏越の大祓(なごしのおおはらえ)などなど。

大久保宮司が「これらがイベントだったら中止にしていた。さくら草を並べるのも、あくまで神様にお見せするため」と断言するように、いずれも神事だからこそ決行した。神様に喜んでいただくことを第一に、神社の運営をしていることが大久保家の誇りなのだと、16代目宮司は目を細めた。

人々を見守り続ける鬼の王様

稲荷鬼王神社がある一帯は、かつて「西大久保村」と呼ばれていた。その後、合併や改称があり、終戦後に「歌舞伎町」という地名になって、歓楽街として栄えていった。そのはるか昔から、稲荷鬼王神社はこの土地で神様をまつり続けてきた。神社の歴史の一部といっても過言ではない歌舞伎町を、大久保宮司は「変化に対して柔軟で、大抵のことを受け入れる許容量の広い街」と称する。

(撮影:梅谷秀司)

「新宿コマ劇場がなくなっても、ゴジラビル(新宿東宝ビル)ができて、新しいランドマークになっています。とてもいいことだと思います。新宿ゴールデン街も、昔はどこも一見さんお断りで、誰かの紹介がないと入れなかったけど、今は気軽に行ける。親しみやすくなりましたね」と、変化を楽しんでいるようだった。

歌舞伎町に鎮座する鬼の王様は、これからも力強く、にらみをきかせて、この街と人々を見守り続けていくのだろう。

この連載の一覧はこちら
肥沼 和之 フリーライター・ジャーナリスト

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

こえぬま かずゆき / Kazuyuki Koenuma

1980年東京都生まれ。ルポルタージュや報道系の記事を主に手掛ける。著書に『究極の愛について語るときに僕たちの語ること』(青月社)、『フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。』(実務教育出版)。東京・新宿ゴールデン街の文壇バー「月に吠える」のオーナーでもある。ライフワークは愛の研究。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事