「神社のそばにお寺」に潜む"神と仏"の深い因縁 「天照大神」は「大日如来」の化身とされていた
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寺院の境内に鳥居が見られる「神仏習合」の名残(写真:tenjou/PIXTA)
お寺のそばに神社が建っている。それどころか、お寺の境内と神社の境内が隣り合わせになっている──。私たちがふだん何気なく目にするそんな光景は、間違いなく「神仏習合」の名残だと、宗教・歴史分野をメインとする編集者・ライターの古川順弘氏は指摘します。
朝鮮半島から伝来した「仏教」と「日本の神々」は、どのように折り合いをつけ、また、為政者たちの思惑にどのように振り回されてきたのか。古川氏の著書『僧侶はなぜ仏像を破壊したのか 国宝に秘められた神仏分離・廃仏毀釈の闇』から、一部を抜粋・編集して解説します。
お寺のそばに神社が建っているのはなぜか?
自分が暮らしている町で、こんな光景をみかけることはないだろうか。
お寺のそばに神社が建っている。それどころか、お寺の境内と神社の境内が隣り合わせになっている──。もしそんな光景に心当たりがあるとして、そしてその寺社が江戸時代以前から続いていたとするならば、そこは、現在は「寺院」と「神社」として別々に運営されているにしても、明治維新までは一体化していたとみてまず間違いない。
つまり、その光景は、かつての日本ではごくふつうにみられた、寺院と神社、仏教と神道が一対の関係でつながった「神仏習合」の名残にほかならない。ここで、神仏習合の歴史を簡単にたどってみよう。
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