「明治の廃仏毀釈」寺社が受けたエグすぎる仕打ち 「顕著な観光地化」「葬式仏教化」のきっかけに

激しい廃仏毀釈により多くの寺社が廃寺に追い込まれたという(写真:くろうさぎ/PIXTA)
明治政府が断行した神仏分離政策に触発されるように全国に広まった「廃仏毀釈」運動は、政府の思惑をはるかに超えて、全国の寺社に壊滅的なダメージを与えていったといいます。
それまでの権威や経済的基盤を奪われ、廃寺に追い込まれるケースも激増した「廃仏毀釈」の苛烈な実態とは、いったいどんなものだったのでしょうか。
宗教・歴史分野をメインとする編集者・ライターの古川順弘氏の著書『僧侶はなぜ仏像を破壊したのか 国宝に秘められた神仏分離・廃仏毀釈の闇』から、一部を抜粋・編集して解説します。
政府が命じたわけではない明治の「廃仏毀釈」
明治維新において神仏分離が国家権力によって断行されると、それに触発されるようにして行われたのが「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」(「排仏毀釈」とも書かれる)だ。
廃仏毀釈とは「仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する」という意味で、要するに寺院や仏像・仏具などを破壊・破却し、仏教を抑圧・排斥しようとすることだ。
明治初年、日本各地で、神社に置かれていた仏像や仏具類の破却、あるいは堂塔・寺院そのものの破却などが行われた。僧侶の還俗も多くみられたが、これも広義では廃仏毀釈に含められるだろう。
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