「神社のそばにお寺」に潜む"神と仏"の深い因縁 「天照大神」は「大日如来」の化身とされていた
仏教は6世紀なかばまでに朝鮮半島から日本に伝来し、在来の神祇(じんぎ)信仰(原始神道)との間で摩擦を生じさせながらも、日本各地に徐々に伝播していった。ところが奈良時代の8世紀になると、それまでは対等的だった仏と神の関係に異変が起きる。
神社の境内やその近辺にあえて寺院が建立されるようになったのだ。このように、神社に併設されるようにして建てられた寺院を神宮寺 、あるいは別当寺 、宮寺(みやでら)などと呼ぶ。
そして、伊勢神宮や出雲大社のような、現在では神道の一大聖地のように受け止められている著名な神社にまで神宮寺が設けられたのである。
なぜ、神社に神宮寺が付設されるようになったのだろうか。
仏教では、天界(天道)に、人間よりは高級だが、如来(仏)の境地には達していない「天(デーヴァ)」という神的存在がいると説く。
日本では8世紀頃から神道の神々をこうした「天」の一種としてとらえるようになり、神は仏教に帰依して修行の途次にある存在とみなされた。そこで、そうしたいわば解脱をめざす神々のためのものとして、神社のそばに寺院すなわち神宮寺が建てられたのである。
神宮寺の建立とともに、神社で神宮寺の僧侶が経典を読誦(どくじゅ)したり、写経が神社に奉納されたりするようになった。つまり、神々を、神社において仏教的に供養するようになったのだ。これが神仏習合のはじまりである。
一方、寺院側では、日本の神々を仏教あるいは寺院の守護神(護法神)として勧請(かんじょう)し、寺院の境内や近くに神社(鎮守社)を建てることを行うようになった。これももうひとつの神仏習合の流れをつくった。
「天照大神」は「大日如来」の化身に
神仏習合は平安時代になるとさらに段階が進む。「日本の神々は、仏・菩薩が日本人を教化(きょうけ)するために仮の姿をとって現れたものだ」とする考え方が広まりはじめたのだ。
これを本地垂迹(ほんじすいじゃく)説という。「仏は神の本地(本体)であり、神は仏の足跡(迹)を垂れたもの」という意味だ。要は、神は仏の化身だという信仰で、仏の化身(垂迹)としての神のことを「権(かり)に現れたもの」という意味でとくに「権現(ごんげん)」と呼ぶ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら