メールをくれたのは、西日本に住む40代の女性。教員をしているという。すぐに、詳しくお話を伺いたいと返信すると、「才能のある身体障害児者に関心をもっていただいたこと、本当に嬉しく思います。微力ながらお手伝いさせていただきたい」と返信があった。女性が住む、西日本のある地方都市へ向かった。
待ち合わせたのは、図書館が併設された文化施設。あてにしていた併設のカフェがコロナ下で閉店しており、施設に机とイスを借り、空きスペースで取材することになった。
直前に私からメールで「施設の駐車場の前にいます」と居場所を知らせたので、女性はすぐに気づいて、会釈してくれた。身長150センチほどの小柄な女性。清潔感のある白いシャツと薄ピンク色のマスクが印象的だった。当たり前だが、外見ではろう者であるとはわからない。
手話ができない私は、まず名刺を渡して自己紹介した。それから、スマートフォンの音声文字変換アプリを使い、「今日はありがとうございます」「机とイスを借りたので、あちらで」などと、自分の声をスマホの画面に文字で表示させながらやりとりをしていった。
座って一息ついたところで、女性は自身のiPadを取り出した。キーボードで「相談しておきたいこと」と打って示した。「まず初めに、実名や現在の顔は公表しないことをお願いします」「公表すると、話せることがかなり限られます」とのことだった。女性がどんな人生を歩み、なぜ才能と障害と生きづらさを抱えてきたのかをきちんと聞きたいため、「わかりました」と伝え、取材を始めた。
難儀したのは、私の質問に交じる「あのー」や「えーっと」といったつなぎ表現がアプリではそのまま表示されて質問の意味が読み取りにくくなることだ。質問の言い換えや、意図がきちんと伝わるように文字で表示することの難しさも実感した。取材時間はトイレ休憩をはさんで5時間以上に及んだ。女性は嫌な顔一つせずに答えてくれた。
聞き取れなくても頭脳でカバー
女性は、先天性の難聴だ。3歳の時に「聴覚障害」と診断された。自身が初めてそのことを自覚したのは、4歳の時だったという。
「飛行機型のジャングルジムで遊んでいる時だったと思います。一緒に遊んでいる友達は、笑ったり、はしゃぎあったり、互いに反応しあいながら動いているように見えました。私は補聴器をしている間は少しの音は聞こえるけど、何と言っているかまではわからなくて。友達の相互作用の中に入れていない。ひとりぼっちになっているなと感じていました」