
「幼い頃に両親は離婚しています。しかし、父からの養育費は払われなかったので、母子家庭の僕たちきょうだい3人は、到底裕福とはいえない生活を送っていました。だから、奨学金は母からの勧めで借りました」
母の年収を鮮明に覚えている
今回話を聞いたのは、北海道出身の赤田裕之さん(29歳・仮名)。現在、東北の病院でX線撮影やMRI検査を行う診療放射線技師として働いている。
「両親は僕が幼い頃に離婚しており、母は僕たちきょうだいを連れて農業をやっている祖父母の家に引っ越したため、『食うものに困る』なんてことはありませんでした。だからといって、ぜいたくできるような環境でもない。母は接客業や清掃などで生計を立てていましたが、ある手続きで母の年収を見たとき、200万円だったのを鮮明に覚えています」
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