補足しておくと、赤田さんは部活にも所属し、大学生らしい楽しみも少しはあったようだ。だが、どれだけバイトしても「将来、返せないのではないか?」という不安が勝り、時には「心配性なので怯えて眠ることもできず、『大学になんて行くんじゃなかった……』と考えたこともありました」とのこと。いろんな人物が登場する本連載だが、赤田さんはなかなか心配性な部類かもしれない。
結局、4年の学生生活で、貸与総額は約650万円となった。
「毎年100万円は返済する」というルールで生活
その後、赤田さんは4年生の冬に国立病院の内定を獲得し、国家試験にも無事合格。晴れて診療放射線技師の資格を習得した赤田さんは、地元・北海道の病院で働くつもりだったが、配属先は大学のある近隣県の病院だった。
希望していた病院ではなかったことは受け入れられたが、それにしたって給料が低すぎた。
「診療放射線技師の給料は、大卒の公務員と同じ額なので少ないんですね……。それに医療従事者は夜勤の『当直』に入るまでは、手取りが20万円を超えることはありません。2年目以降は、給料が増えるのですが、その代わりに今度は住民税など徴収される税金も増えます」
そんな中でも、社会人になって半年後には奨学金の返済が始まる。ここまで薄給だと満額借りていた第二種奨学金の返済に首が回らなくなりそうだが、それでも大学時代にアルバイトで働き詰めていた赤田さんには余裕があった。
「就職した時点で、奨学金の残りとバイト代を合わせた貯金が150万円あったので、毎月2万8000円の奨学金の返済はなんとかなりました。それに加えて早期での完済を目指してボーナスが入るたびに、毎年繰り上げ返済していました」
4年間で650万円借りたと聞くと「借りすぎではないか?」と思う人もいるかもしれないが、堅実な赤田さんは150万円を残して新社会人になり、給料が低いうちはこのお金を奨学金の返済に充てていた。狙っての戦略ではなく、赤田さんが心配性だったゆえだったわけだが、なにが怪我の功名になるかは予想できないものだ。
その後も節約を心がけ、欲しい物を買わずに「毎年100万円は返済する」というルールを自分に課していた赤田さん。その甲斐あって、社会人7年目の29歳の時点で650万円の奨学金はすべて返済することができた。
「払い終えたときは開放感でいっぱいでしたね。『やっと、自分の人生がスタートするんだ』という気持ちになりました。これからは習い事や自分のやりたいことにお金を使っていきたいと思います。早速、ずっと欲しかった食洗機を購入しました」
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