歯学部で挫折して中退「自衛隊」に入った彼の顛末 浪人や社会人経験を経て彼が気づいたこと

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GUSTONさんは1990年に大阪府箕面市に生まれました。父は医者、母は専業主婦と、姉が4人。小さいときは「変わった子」として認識されていたようです。

「私の姉は医学部が2人、薬学部が1人と、3人が医療系の道に進みました。私も小さいときから、父親に『家を継がなあかんで』と言われていましたね」

こうした親の意向もあり、GUSTONさんは、小学3年生から中学受験の予備校である希学園に通い勉強をしていました。当時は真面目にテストを受けていなかったようで、ずっと一番下のクラスにいたそうです。

その状態で6年生まで進み、中学受験を経験した彼は、なんとか2校に合格し、北海道の函館ラ・サール中学校・高等学校に進学します。しかし、相変わらず成績は低空飛行でした。

「英語や国語などの読解力が問われる科目が本当に苦手だったんです。中学3年間、ずっと学年120人いる中で3桁の順位(100位以下)でした」

一方で理数系は好きだったというGUSTONさんは、高校に進学すると、理系のコースを選択します。

「将来の夢はなかったのですが、とりあえず理学部や理工学部などに進学し、理系の仕事に就いて食べていこうと思いました」

模試の偏差値ではつねにE判定

しかし、学校での勉強の教え方が一気に受験仕様に変わったことで、本格的に授業についていけなくなってしまったそうです。

「医学部志望の人もいるコースでした。自分と成績が同じくらい、もしくは自分より悪かった人が私立文系コースを選択し、受験科目を文系の3教科に絞っていた中で、自分は5教科7科目の勉強をしないといけなかったので、とても苦労しました。基礎学力が全然なくて、勉強しても全然成績が上がらなくて、最下位が定位置でした

模試の偏差値はつねに40台でE判定しか出ませんでした。センター試験も5割で、神戸大学、関西学院大学、追手門学院大学を受けるも全滅してしまいました。

こうしてすべての大学に落ちてしまったGUSTONさんは「すべて落ちたから、仕方なかった」と浪人を決断します。

北海道から地元に戻り、駿台大阪校に入ったGUSTONさんは、「出された宿題は必ずやる」と食らいついて、夕方までの授業以外にも1日5~6時間の勉強を続けました。

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