いわば、仲間とともに空に浮かんだ月を見上げながら話すような構図。これをぼくは「共望型コミュニケーション」と呼んでいます。
たとえば、経営者である相手にアートを学ぶことをすすめる、としましょう。先ほどの3つの型にのっとれば、それぞれ次のような表現になるでしょうか。
〈下意上達型〉「経営者ならアートを学ばれてはいかがでしょう」
〈対等型〉「経営者ならアートを学んだほうがいい」
ただ、先ほどもお話ししたように、このうちのひとつを選ぶと、ほかの高さの相手には受け入れにくいものになってしまいます。だから、伝える相手が不特定多数のときは、話題自体を高い位置に置くようにする。
いまの例でいえば、こういう投げかけをします。
相手に向かって直接語りかけるのではなく、伝え手である自分と、受け手との間の高いところに話題を置いて、いっしょにそれを見上げているイメージ。
こうすれば、上位者に無礼と思われたり、下位者に卑屈と思われたり、対等な相手に妙な違和感をもたられることもなく、話を受け入れてもらいやすくなります。
「対峙」するか「仲間」になるか
じつは、「高さ」を意識した、この「共望型コミュニケーション」には、さまざまな立場の人たちに伝えやすいというメリットのほかに、もうひとつ重要な役割があります。
話題を「いっしょに見上げている」という心理的な姿勢のおかげで、受け手から「(コミュニケーションのなかで)いっしょに考えていく」という姿勢を引き出しやすいのです。
先ほどの3つの型を意識すれば、たしかに上下関係によるトラブルは起こりにくくなります。とはいえ、「高さ」が適切だったとしても、とくになにかを提案したり、教えたりする場合には、直接ぶつけるような投げかけになるだけに、ともすると押しつけがましさを受け手に感じさせてしまうことがあります。
でも、「共望型コミュニケーション」をとれば、ともに同じ課題に向きあっているという意識になりやすい。結果、いわば同志の関係性をつくることもできます。
伝え手として、受け手と「対峙」するのか、「仲間」になるのか。
どうせなら後者でありたいわけですが、そういう関係性をつくる大切な手がかりのひとつが、コミュニケーションの「高さ」という目線にあるのです。
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