伝え下手な人がハマりがち、話し方の「落とし穴」 自分が「伝えられる側」になってみるとわかる?

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でも、冷静に考えるとわかるように、人から人へ、なにかを“直接”伝達することはできません。

そんなことができるのは、テレパシーが存在するSFの世界だけです。現実の人と人とのコミュニケーションは、かならずなにかを媒介しておこなわれます。

文字によるコミュニケーションなら、紙やデジタルデバイス上などに表示された言葉や文章。話すコミュニケーションなら、声として発した言葉や話がその役割をにないます。映像にしても、デザインにしてもそうでしょう。あるいは事業などにもあてはまることかもしれません。

なにかを伝えるコミュニケーションはすべて、「伝え手」が伝える事柄をいったん表現し、「受け手」がそれを見聞きする、という2段階のプロセスを経ています。

別の言い方をすると、伝えるコミュニケーションは、「表現する」と「見聞きしてもらう(文章でいえば「読んでもらう」、お話でいえば「聞いてもらう」)」という2つの行為から成り立っているということ。

コミュニケーションの橋はひとつではなく、2つあるのです。

伝えたいことが伝わらない理由

でも、なぜこの構造だと「伝えたいこと」がすんなりと伝わらなくなるのでしょうか。いちばんのポイントは「第2の橋」にあります。

伝え手としては、伝えるからには受け手との間にコミュニケーションを成り立たせたい。にもかかわらず、この「第2の橋」を伝え手自身で架けることができないのです。

たとえば、先ほどお話しした子どもへの説教であれば、親は子どもに対して、「勉強しないと、ろくなおとなになれない」「自分は勉強しなかったことを後悔している」などと伝えたいと思っている。その考えを、思いをこめて、言葉を選んで、自分なりにきちんと「表現する」ところまでやったとしましょう(第1の橋を架けた)。

でも、その話を子どもが聞いてくれるどうか(第2の橋が架かるかどうか)は、また別の話です。

もちろん「聞いてほしい」とお願いすれば、耳を傾けてくれるかもしれませんが、それでも最後までしっかりと聞いてくれる、意識を向けて話につきあってくれるという保証はどこにもありません。

「話を聞く」という行為を伝え手が強制することはできませんし、仮に強制的に聞かせることができたとしても、真剣に聞くかどうかは受け手次第。受け手が決めることです。

受け手はその話を聞くこともできますが、聞くのをやめることも自由にできる。伝え手にとって大切な話であろうが、思いがつまっていようが、そんなことは(シビアな言い方をすれば)受け手には関係がありません。基本的には、受け手自身が聞こうと思えば聞くけれど、聞きたくなければやめてしまう。

ほとんどの伝えるコミュニケーションは、受け手がある程度の時間や労力、注意力などを割いて、読んだり、聞いたりしてくれなければ、「納得」はおろか、「理解」にもたどり着くことができません。

にもかかわらず、伝え手にできるのは、表現するところ(第1の橋)まで。受け手の関与(第2の橋)を確実なものにすることができないのです。

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