いわば、伝えるコミュニケーションの主導権は、伝え手ではなく受け手にあるということ。ここに伝えることの難しさ、伝えるコミュニケーションの構造的な課題があります。
受け手自身が聞こうと思えば聞くけれど、聞きたくなければやめてしまう──。伝え手の立場で考えると身勝手にも思える話ですが、なんのことはない、これはふだん私たちが誰しもやっていることです。
すべては「受け手」次第
とくにわかりやすいのは、テキストとのかかわりでしょう。
日々、スマートフォンをのぞきこみながら、私たちはニュースアプリやポータルサイト、SNSなどでたくさんの記事に出合います。あるいは企業に属している人なら、会議資料や企画書、報告書、メールなど、膨大なテキストを手にします。
振り返ってみるとわかることですが、そのすべてを読んでいる人はまずいないはずです。しっかり読むものもあれば、ななめ読みするものもあるでしょうし、少し読みかけてやめたり、タイトルだけ見て読まないものもあったりする。
先ほどの「話を聞く」と同じで、「読もうと思えば読むが、読みたくなければやめてしまう」。それをくり返しています。
そのとき私たちは受け手として、なにを思い、どう判断しているのか。
情報に出くわすたびにまず、それが自分にとって「知りたいこと」や「聞きたいこと」「読みたいこと」なのかどうかを品定めするような目で見ているはずです。そのフィルターに引っかかるようであれば、かかわってみる。そうでなければ、かかわらない。
ここからわかるのは、受け手が受け入れるのは、伝え手が「伝えたいこと」ではなく、自分が「伝えられたいこと」だということです。
そして、当然のことながら、伝え手の「伝えたいこと」と受け手の「伝えられたいこと」は、かならずしも同じではありません。「伝えたいこと」を伝えても、受け入れられない可能性が高い。
伝えるコミュニケーションの構造から考えると、「伝えたいこと」を伝えてもすんなりと伝わらないのは、当然のことなのです。
「伝わる」ようにしたいなら、ひとことで言いあらわす時点で、相手(受け手)が納得して、あわよくば共感するような「伝えられたいこと」へと、「伝えたいこと」を変換する意識が重要になります。
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