「月曜から夜ふかし」で話題"東大42浪"彼のルーツ 職を転々とし離婚4回、彼が勉強し続ける理由

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これでジミーさんは35年以上大学受験から離れます。自衛隊には1年いて米軍の通訳をしていましたが、父親の体調不良で家業を継ぐために退職します。家で2年働いた後は、外国人記者のたまり場でバーテンダーをしたり、得意の英語を生かして毎日新聞社で英字新聞の校閲の仕事に就いたりしていました。

この波瀾万丈の人生は、25歳のときの失恋でさらに拍車がかかりました。好きな人をほかの男性に取られて自暴自棄になった彼は、キャバクラやお酒といった遊びにとことんはまってしまい借金だらけになってしまったのです。

借金を繰り返し、4度の結婚も

その後、工場勤務、パチンコ屋経営、テレビ番組の制作会社経営、釘師職人、クラブのボーイ、宅配便荷物の仕分け、鶏肉加工職人と、50歳までさまざまな仕事を経験します。お金を稼いでは遊んで借金を作り、またそれを返済するという破滅と再生を繰り返す波瀾万丈の人生を送り、現在に至るまで、4度の結婚と離婚を経験しました。

「パチンコ屋の経営をしていたときは運転資金として1億円くらいのお金を回しながら、キャバクラやフィリピンパブで1回5万〜10万円を使うようになっていました。そのときでさえ金銭感覚がずれてしまったと思ったんですが、番組制作の仕事をしているとき、当時SMAPからオートレーサーに転向した森且行選手が話題になっていて、オートレースにおける選手同士の壮絶で究極のバトルの世界を描く映画を作りたいと思うようになったんです。

それでオートレース場に出入りしていたんですけど、1つのレースに数百万単位で賭けるようになってしまって……。あっという間に1000万円負けたときにハッと我に返って、『なんであんな馬鹿なことをしたんだ』と激しい自己嫌悪に陥ったんです。

それでその気持ちを紛らわすために銀座のクラブでウォッカやジンのストレートをガブガブと底なしに飲むようになってしまいました。借金だらけになって、とうとう39歳のときに街金消費者金融14社からの借金合計2000万円で身動きがとれなくなり、破綻しました

また、身体面でも無理がたたり、47歳のときに脳梗塞の初期症状が出て左半身が動かなくなりました。

そんな失意の中にあった彼を救ったのが、現在まで続けている中国美術オークションの美術品鑑定士という仕事でした。

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