「嫌われない技術」がデキる人に必要な納得の理由 優秀な人が実践している嫌われないための方法

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「好かれたい」という気持ちは不要だが、「嫌われない」ようにすることは大事だ、と筆者が言う理由は?(mits/PIXTA)
理不尽な言動で周囲を振り回す人を“アホ”と呼ぶのが田村耕太郎氏。ベストセラーとなった前作『頭に来てもアホとは戦うな』に続く第2弾、『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』から、コロナ禍を経てさらにパワーアップした「アホ対処法」を一部抜粋で解説する。

「好かれたい」という気持ちは捨てよう

私は「アホに嫌われない技術」を大事にしている。一方で、誰かに「好かれたい」と思ったことがない。そういう感情を持った瞬間に相手に対して弱くなることが、その理由の1つだ。

ビジネスで最も大事なのは目的を達成することだ。人間関係の構築においては、目的達成のためのパートナーシップを築けるかどうか、あるいは、共通の目的をシェアできるかどうかが重要になる。そこでは、人としての好き嫌いはまったく意味がない。

だいたい、なぜ大人になって、仕事の世界で、好かれないといけないのだろうかと思う。邪魔されるほどに嫌われなければ、別に好かれなくてもいい。パートナーが仮にアホであったとしても、私の邪魔をしなければいい。つねに目的達成最優先だ。もちろん、結果として好かれたり仲良くしたりできればそれに越したことはない。

とはいえ、人に好かれたいという感情は本能的で、なかなか捨てがたい。そんな感情に流されそうなときには、「他人の感情はコントロールできない」という冷徹な前提を思い出すようにしている。自分の力で動かせないことに執着していても意味がない。「自分がコントロールできるものに力とエネルギーを集中すべき」と決め、アンコントローラブルな事柄に関してはあれこれ悩んだり、クヨクヨしたりしないと決めるといい。

特に、他人に関心があり、嫉妬深い「日本社会」では「嫌われない技術」がとても大事になる。私自身、「嫌われてもいいや」と思っていた時期があったが、「アホと戦うこと」と同じくらい「嫌われる」ことは無駄であることに気づいた。

何か思い切ったことをするときに「嫌われても仕方ない」と思うことと「嫌われたい」と思うことは全く別である。「好き」も「嫌い」も積極的な感情である。「好き」と「嫌い」は裏返し。プラスとマイナスの違いがあっても相手が持つエネルギーの大きさは変わらない。やっかいな人から「嫌い」という積極的な感情を持たれるのは面倒だ。「嫌われる」ということは「敵意」を持たれるということであるからだ。

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