我慢を続け「最後にキレる人」が評価を下げる必然 言いにくいことをハッキリ言う作法

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「言いにくい」ことをどんどん発言することで、一人の人間として認められることになります(写真:Graphs/PIXTA)
理不尽な言動で周囲を振り回す人を“アホ”と呼ぶのが田村耕太郎氏。ベストセラーとなった前作『頭に来てもアホとは戦うな!』に続く第2弾、『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』から、コロナ禍を経てさらにパワーアップした「アホ対処法」を一部抜粋・編集のうえで解説する。

不満をその都度表明する〝わきまえない〞人になれ

日本の文化では、「謙虚」が美徳であると言われている。しかし、これからの時代は周りの空気をあえて読まずに、言いにくいことをどんどん発言していく〝わきまえない〞人間になることが重要であると思う。日本では人口が減少し、技術的優位性も失われていくなかで、「グローバル人材」になる必要があるからだ。

そして、なによりもそんな謙虚な人物にアホはつけこむからだ。

なれ合いながら、なあなあで社会を維持してきた日本人は、自己主張が苦手である。また、〝空気を読む〞という題目で、同調圧力をかけて、相手の欠点を指摘することなく、相手の行動を変えようとする。思ったことを口にする〝わきまえない〞人は、そうした集団から排除されてしまうからだ。

私自身もそうだった。例えば、政治家時代には常に他人の目を意識していたし、有権者からどう評価されるかを気にしていたものだった。

それは、国際社会では通用しない。多様性のある集団では、「言わなくてもわかる」ことなどない。考えていることを口にしない人間は軽視されるし、アホと見なされる。国際社会では「言いにくい」ことでもしっかりと発言することで、一人の人間として認められることになるのだ。

もう一つ「言いにくいこと」を口にする理由がある。自分の人生の主役は、自分自身であるべきだからだ。「こんなことを言ったら嫌われるかも」「意見が否定されたら恥ずかしい」と物怖じするのは、全ての評価基準が他人になっているからである。しかも、口にする前の段階では他人の評価ですらない。他人から見た自分がどう見えるかの「妄想」でしかないのだ。

人は社会的な生物ではあるが、今際(いまわ)の際を迎える時は一人である。その瞬間を、自分の意思で生きてきたと振り返れる人間こそが賢者なのではないだろうか。

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