「家事は知的労働に劣る」という発想の大問題 料理を「毎日」作ることの大変さは語りきれない
前島:僕も実はやるんですよ、発酵食品。ぬか漬けと、あと梅干しもやります。面白いですよね。趣味としてやると面白いなと。
阿古:義務としての料理から解放されると、今度は普段作らなくていいから、よし今日は腕によりをかけてこれを作るぞ、みたいになったり、何か趣味で味噌作って、みたいな楽しさが生まれるんですよね。
前島:僕も自社製品は当然使っていて、平日はそれでまかなっています。もともと料理好きなんですけど、さらに土日の趣味としての料理がとても豊かになった。例えばお刺身を冊で買ってきて、ちょっと日本酒と塩で締めたりして。
普段やらないことによって生まれるゆとりがある。多分1週間でつかえる料理エネルギーみたいなのがあって、それを平日温存できて、意欲が高まった状態で土日を迎えられるというような。
阿古:家事って、仕事と違って、皆さん休みを取るべき、っていう概念がない人が多いんですよね。だから結局、365日のうち旅行とか帰省とかで、年間10日ぐらいは休みがあるかどうか、という状態で何十年やっている。それはとんでもないブラックワークなんですよね。だからリフレッシュできないのは当然なんですよ。
家事に対価が支払われない「異常事態」
――昇給もないですしね。
前島:当社もその点については問題意識持っています。政府の試算でも100兆円以上の家庭内労働があると言われていて。日本のGDP500兆ぐらいなので20%相当の労働が家庭内で行われていない、かつそれに対価が払われていないって、結構異常事態だな、と。
いろいろな尺度あると思うんですけど、お金が払われると「その労働って価値あるよね」と認識されがちな部分がある。一方、払われないと、価値があるとはあまりみなされず、大変とみなされないというところがあるのではないでしょうか。
その象徴的なエピソードとして、当社はベンチャーキャピタルなどから出資を受けるので、いろいろプレゼンをして回るのですが、中年の男性の中にはそもそも家事の大変さとか、労働の価値がわからない方もいて、「それって代替するニーズってある? そんなのにお金払ってくれる?」と聞かれることもあります。