83歳で父になる「アル・パチーノ」波乱の恋愛遍歴 相手は29歳、「生涯未婚」の信念は変わるのか

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ウェルドの次、パチーノは『ボビー・デアフィールド』(1977)で共演したマルト・ケラーと交際。その後には、演技コーチのジャン・タラントと短い交際をし、パチーノにとって初めての子供が生まれる。ジュリー・マリーと名付けられた娘は現在30代だ。

1990年代には、オーストラリア人監督リンドール・ホッブスと数年間同棲するも、『カリートの道』(1993)の撮影中、共演者のペネロープ・アン・ミラーとも関係を持つ。ホッブスとパチーノは、ホッブスが子供を望むのに対し、パチーノは反対だったことから、最終的に別れた。そして1997年、パチーノは、飛行機の中で、彼の次の子供たちの母となる女優ビバリー・ダンジェロと出会う。

恋に堕ちてまもなく、パチーノから『君に、僕の子供の母になってほしい』と言われると、子供を持ったことがなく、すでに40代後半だったにもかかわらず、ダンジェロは了解。2001年1月、体外受精で、双子の男の子アントンと、女の子オリヴィアを授かった。パチーノが60歳の時だ。当時、パチーノの父の妻は、『People』誌に「アルはずっと男の子をほしがっていた。ビバリーは、アルの人生で起きた最高のこと」と喜びのコメントをしている。

親権をめぐって元恋人と争い

だが、子供たちが2歳になったばかりの2003年、カップルは破局。パチーノは、もっと子供たちと時間を過ごしたいと、共同親権と自由な訪問を求める訴訟を起こした。パチーノの弁護士は、「子供を盾にして金を要求してくる」とダンジェロを非難。

パチーノはダンジェロと双子のために月1万8000ドルの家賃を払い、月3万5000ドルの養育費を渡しているのに、もっと子供と時間を過ごしたいというと、ならばもっと金を払えとダンジェロが言ってくるというのだ。

一方、ダンジェロは、パチーノが決められた訪問スケジュールを守らず、嫌がらせをしてくると反論した。また、パチーノはおしめを替えたことも一度もないとも述べている。

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