茹でガエルにならず「組織を飛び出す」生き方とは 塀の中に落ちないように塀の上を上手に歩く

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赤坂にて名越康文氏(左)と養老孟司氏(右)(写真:日刊現代提供)
急激に変容するニホン社会において、生き方にも見直しが迫られています。本稿は『ニホンという病』から一部抜粋・編集のうえ、「個人は組織とどのようにかかわっていけばいいのか」をテーマに、養老孟司氏と名越康文氏の対談をお届けします。

ひどい目に遭わないと変えられない

― 急速に高齢化が進む中、70歳定年制といった動きがある一方で大企業では早期退職=リストラが相次いでいます。組織を自ら飛び出したお二人に、組織とのかかわり方についてお伺いしたいと思います。名越先生、当時を振り返られていかがでしょうか。

名越:僕は38歳直前で病院を辞めました。そのころ思春期のクライエントを相手にした診療をやりたいと思っていました。それにはすごい体力が必要です。40歳を過ぎてからの開業は骨が折れると直感したので30代で辞めて、45歳まで思春期の患者さんの診療をやって、45歳から書き物をやったりラジオやテレビに出させていただくようになりました。

だから40代はほとんどフリーで働いていましたね。毎日毎日、「もう仕事なくなるか」と思っていましたよ。月給をもらえるのだったら、わざわざそんな獣道に入らなくてもいいんじゃないですか(笑)。

― そうした時期の印象に残るエピソードはありますか。

名越:40代半ばのころ、福岡であった夏の野外ライブでの講演に養老先生と一緒に出させていただきました。講演後、宿泊先までの車中、養老先生を独り占めできました。その時の会話で「男はひどい目に遭わないとライフスタイルは変えられない」という話になりました。

人って、人生の道中で何度か体が弱くなっていくじゃないですか。そのたびにひどい目に遭うけれど、あらかじめ準備している人なんかいなくて、その時に死ぬ思いをする。そうやって人は「この年だったら、この生活はできないということを何度か経験して、いろんなことが分かって生きていくものだ」とおっしゃったんですね。

― すぐに納得されましたか。

名越:当時は、そういうものなのか、と思って聴いていましたが、その後のわが身を振り返るとつくづくそうでしたね。50代になると病気をしたり、体にいろんなことが起こります。雨の2日前ぐらいになったら頭痛がしてきたり、体が使い物にならないように重くなることがある。40代ではなかったんですよ。

その意味で言うと、そうした体の変化を自覚しながら新たなことに挑戦していくというのは、50代後半からはちょっとした冒険なんですね。体とどう付き合っていくかというのが、日常のルーティンになります。

そんな話をすると30代、40代の読者の方は暗く考えるかもしれませんが、差し迫った問題に暗いとか明るいとかは別にないんですよ。体の要請に応えざるを得ない。そういった外側と内側の調整を一刻一刻していくことが日常となるんです。忙しいというのは、心を亡くすと書くけど、若い頃にこんな内外の調整など、とてもできなかったと思いますね。それだけ技量が上がったということなのでしょう。なんだかんだとあるなという感じですね。

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