茹でガエルにならず「組織を飛び出す」生き方とは 塀の中に落ちないように塀の上を上手に歩く
― 講演活動とかの場合はどうなんでしょうか。
養老:教育方面とか、人事院とかで特例を作って対応していましたね。だって(厳格な既定のままだったら)、法学部の先生が教科書を書いてね、出版社から出したら、そりゃまずいでしょう。印税も何ももらえない。でも、そういうところは寛容で、解釈で通していましたね。そんなルールをいちいち守ったら、何にもやってられないから。
― 解剖学の現場でも理不尽なことはあったのでしょうか。
養老:僕の前の助教授だった先生がね、(大学当局と)大喧嘩した。亡くなられた方の献体に関してですね。お葬式行った際に香典をお渡しするんですけども、その香典の領収書で喧嘩になったんですよ。つまり、お葬式で「お取り込みのところ恐れ入りますが」と言って領収書を書いてもらうんです。まさにお取り込みなんですよ。そうするとかなりの家が「いりません」というわけです。献体だから。でも、現金を持って帰ると怒られる。まずいんだよ、これが。
この問題については、病理学の森亘さんが総長だった時に、僕、東大の広報の原稿にその話を書いたところ、最後は解剖の主任教授と会計課のトップのハンコがあれば香典はいい、出しても出さなくてもいい、相手が受け取らなくても構わない、適当に決めろということになったんです。
― 他にもいろいろとあったのでしょうね。
養老:いちばん困ったのは遺体の引き取りですからね。ある葬儀関連会社の自動車を使うんですけども、そこの運転手さんにチップを払うかどうかっていう問題があった。本来そういうのは亡くなった方の状況でさまざまでしょ。だから、何もしなくていい場合もあるし、何とかしてあげたいなと思う場合もある。
ある時、運転手さんと2人で、病院の4階の病室から非常階段で棺を降ろしたことがありますけど、その時にね、いくらか運転手さんにチップをあげました。そういうことが一切できない職場だったんです。現場のコントロールを官庁でやるっていうのは絶対にダメですよ。
― そういった理不尽な現実を前にどうされたのですか。
養老:それはね、大まじめに喧嘩したってしょうがないから、上手に渡んなきゃいけないですね。
― それが「塀の上を歩く」ということでしょうか。
養老:そうですね。うっかり(塀の中に入って)、人の利害関係や政治的な問題に引っかかると、それこそ今のSNSの炎上みたいなことになってしまう。そこら辺はもう慣れたもんですよ。だから人の損得に引っかかることからは上手に逃げなきゃいけない。