養老孟司「健康診断に一喜一憂する人がはまる罠」 数値だけで判断して身体の声を聞かないのは危険

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養老孟司さん
養老流のものの見方、考え方とは?(撮影:今井康一)
ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか。解剖学者の養老孟司さんは子供の頃から「考えること」について意識的で、1つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。自然や解剖の世界に触れ学んだこと、ものの見方や考え方について、脳と心の関係、意識の捉え方について解説した『ものがわかるということ』から一部抜粋、再構成してお届けします。

脳化社会は違うことを嫌う

意識が幅を効かせる脳化社会は、違うことを嫌います。日常は違いに満ちていますが、意識に振り回されると日常が脇へ追いやられる。意識は「同じ」しか扱えないからです。

同じの最たるものは数字でしょう。物事を数字にすればするほど、世界はどんどん単純化する。人間も数字にしたほうが便利です。番号ひとつあれば、本人は必要ありません。

数年前、銀行に行って手続きをしようとしたら、本人確認の書類提出を求められたことがありました。私は運転免許を持っていないし、病院に来たわけじゃないから健康保険証も持っていませんでした。そうしたらその銀行員が「困りましたね。わかってるんですけどね」と言う。よく行く地元の銀行ですから、その人も私本人だとわかっているんです。ここにいるのは間違いなく養老孟司なのに、なぜ養老孟司と認識されないのか。いったい「本人」って何でしょうか。

それから数年して答が出ました。本人は、いまや「ノイズ」です。本人の情報さえあればいいんです。本人確認の書類をロボットが持ってきたらどうするのか。たぶん、それでもいいんでしょう。生身の顔色や機嫌、声、匂いなど、すべてが感覚所与、つまりノイズなのです。

医療現場でも、肉体を持った患者さんがどこかに行ってしまって、検査の結果だけが事実になってしまった。正常値から外れた数値を、正常値に戻すことだけが医者の仕事になっている。その仕事が、その患者さんとどのくらい関係があるのかというと、実はもうほとんど関係ないわけです。

私は東大の医学部にいたので、患者さんを紹介することがありました。治療が終わった患者さんが、お礼を言いに来る。そこで何を言うかというと、「担当の先生は、顔も見ないんです。カルテを見て、パソコンを見ているだけで、手も触らない」。まさに「統計」だけが「事実」で、本人がいなくなっているのです。

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