養老孟司「健康診断に一喜一憂する人がはまる罠」 数値だけで判断して身体の声を聞かないのは危険
会社で同じ部屋で働いているのに、上司や同僚にメールを送り付けるのも、ノイズを排除したいからです。人間もコンピュータに近づいてしまっているから、ノイズが入っていると処理しきれない。だから生身の人間とつき合うのが苦手になっていく。結婚しない人が増えているのも当たり前で、結婚はノイズと生涯を共にするようなものです。少子化も同じ理由です。子供はノイズそのものですから。これが現代の脳化社会、情報化社会の実情です。
身体の声を聞くために必要なこと
統計的データは、あくまで判断材料の1つです。今後、医療システムの中にAI(人工知能)が本格的に入ってくるはずですが、事情は変わりません。もしも最終的な判断をAIに預けるような医者が出てきたら、どうしようもありません。
身体がある状態を示す要因は複合的です。健康診断や人間ドックで、まったく異常が見つからなかったのに、突然倒れてしまうことがあります。
血圧とか血液検査の数値とか、身体の状態から情報化されるのはほんの一部です。だから、予想外の病気が見つかることがあります。私のような胸の激痛がまったく出ない心筋梗塞もその1つでしょう。
数値に目を奪われていると、健康のためにはそれだけが重要なことのように思われてきます。健康診断に一喜一憂する人は、この罠にはまっているといえます。
では医療における統計を否定すればよいのかというと、そんなことは不可能です。しかし統計データだけを判断材料にするのも危険です。
たとえば自分の身体の異変に気づいて、がんかもしれないと思ったとき、インターネットで検査して、「10万人に1人」という数字が出てきたとします。確率が低いので、「これは違うな」と思うかもしれません。身体よりも数値を優先させる。これは本末転倒です。
大事なのは身体の声を聞くことです。私がさんざん悩んだ末に病院に行くことにしたのは、体調が悪くてどうしようもなかったからです。病院に行く前三日間は眠くて眠くて、ほとんど寝てばかりいました。それが身体の声だったのでしょう。
ただ、身体の声が聞こえるようにするには、自分が「まっさら」でなければなりません。私は花粉症がありますが、症状がひどくても、これまで薬は飲まないようにしてきました。薬で症状を抑えてしまうと、身体の声が聞こえなくなるのではないかと思うからです。
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