「侮れない」家康が長篠で痛感、武田勝頼の驚く軍才 信玄亡き後、織田信長に評価を一転させた実力

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武田勝頼
山梨県甲州市にある武田勝頼像(写真:ジョー/PIXTA)
NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で注目を集める「徳川家康」。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。
家康を取り巻く重要人物たちとの関係性をひもときながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』(毎週日曜日配信)の第23回は、武田信玄亡き後の家康と武田勝頼の戦いについて解説する。
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武田信玄にあこがれていた徳川家康

武田信玄の怒濤の侵攻によって、遠江や三河の地域の多くを失うことになった徳川家康。信玄が病死したと知って、どれだけ安堵したことだろうか。その死に際して、家康が信玄のことを振り返って、こう評したと『徳川実記』には書かれている。

「今の世で、信玄のように弓矢を取り回すものは2人といない。私も信玄のように弓矢を取りたいものだと思ってきた」

信玄への知られざるあこがれを口にして「信玄の死は喜ぶものではない」と家臣たちに呼びかけている。それを聞いた者たちは思いやりあふれた発言に感心して、身分の低い御家人たちまでもが「信玄の死は残念なことだ」と家康の口まねをしたという。

家康が信玄にこれほど追い詰められたことを思えば、みなの口まねは「本心では喜んでいるのでは?」というからかいも含まれているのではないかと邪推してしまうが、状況を考えれば、家康が信玄の死に少なからずほっとしたことは確かだろう。信玄の死をきっかけに戦国大名たちのパワーバランスが変化していく。

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