荒木重雄氏と言えば、千葉ロッテ、パシフィック・リーグ、そして侍ジャパンなどで、多くの事業を推進したビジネスマンだ。その業績はつとに知られているが、その荒木氏が故郷の群馬県桐生市で「球都桐生」の再生事業に取り組んでいる。そこに至る歩みについて聞いた。
「思い出作り」でジャイアンツの入団テストを受ける
「私は3歳のときに、ある方から野球のユニフォームをプレゼントされました。稲川東一郎さんといって、桐生高校や社会人の全桐生を屈指の強豪に育て上げた名将で、桐生の名を『野球の都=球都』として高からしめた方がいらっしゃったのですが、その稲川監督の奥様からユニフォームをいただいたのです。実は稲川夫妻は私の両親の仲人でした。このときから私の『野球人生』は始まりました」
小中高と野球を続ける。桐生南高3年生の群馬県大会では、2回戦で前橋工と対戦。1年生の渡辺久信(現埼玉西武ライオンズGM)の投球を見て、これはレベルが違う、と野球選手になる道をあきらめ勉強に専念することにした。でも「思い出作り」のために、読売ジャイアンツの入団テストを受けたところ220人中の2人に残り、当時の巨人軍二軍球場であった多摩川グラウンドで二軍選手たちと練習した経験もある。
「でも、巨人の二軍の練習はすさまじく厳しくて、体力的についていけなかった。それで今度こそプロ野球選手になるのをあきらめ、大学に進みました」
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