タイ総選挙が浮き彫りにした大麻・王室・タクシン 第1党・前進党の前進を拒むもの
イデオロギー色の薄い政党とされる名誉党は今後、大麻政策や不敬罪改正をめぐる協議によって、あるいはアヌティン党首の処遇によって野党連立に加わる可能性も残してはいるだろう。
名誉党は2019年の総選挙後も今回と同様、親軍政党と野党側の間でキャスティングボードを握った。結局、親軍政党主導の政権に加わり、アヌティン氏は副首相の座を得た。今回も惨敗した親軍政党に加え、名誉党に上院議員の票を上乗せすれば政権を取ることが可能だ。
その場合、最も多くの議席を持つ名誉党のアヌティン氏が首相に座ることもありうる。しかしながらこの組み合わせで政権をとっても下院では過半数に及ばず、野党が反対する法案は通らない。
さらに上院議員が首相指名で投票する制度は、軍が制定した現在の憲法で5年間の経過措置とされている。2024年になればこの期限が終わり、下院の多数派が不信任案を提出、可決することで政権交代が可能となる。
つまり、親軍政党を含む現与党側の政権ができても政権運営は綱渡りを余儀なくされるのだが、これを安定させる道はある。第2党となったプアタイが参加し、下院の過半数も制するシナリオだ。前進党外しである。若者ら支持者からは強い反発が予想されるものの、議会では多数派となり、政権運営は楽になる。
大勝を阻んだタクシン氏の望郷の念
プアタイの実質的なオーナーはタクシン氏だ。資金の出し手であり、党の力の源泉でもある。プアタイの幹部らは折にふれてドバイや香港などへタクシン詣でを繰り返し、政策や選挙戦術の指示を受けている。
タクシン氏の人気は、地盤の東北部を中心に根強い。2001年から2006年までの首相時代に、30バーツ(約120円)で医療を受けられる制度や農民の債務返済繰り延べといった政策を実施し、農民や都市貧困層らから「初めてわれわれの声が政治に届いた」と熱烈に支持された。首相の座を追われ、海外逃亡生活を続けているが、クーデターや憲法裁判所による解党処分で自派政権をつぶされても、次の選挙では必ず勝利してきた。
第1党とならなかった今回の総選挙の結果は、プアタイにとって不本意なものだった。選挙戦の滑り出しは順調で各種世論調査でも圧勝が予想され、同党も獲得目標を310議席としていた。
2011年の総選挙でタクシン氏が妹のインラック氏を党の顔に据えて圧勝した例にならい、ペートンタン氏を首相候補とする「2匹目のどじょう」作戦が奏功した。序盤、「首相にふさわしい人物」のトップに立つなどタクシン氏の思惑通りの展開となった。
ところが、プアタイの勢いは終盤になるにつれ鈍っていった。選挙後に親軍政党と連立を組んで政権入りするとの観測がSNSなどで広がったことが響いた。親軍政党の強権的な政権運営、稚拙なコロナ対策や上向かない経済に嫌気がさしていた有権者は、プアタイに投票しても結局、現行路線の継続につながるのではないかとの疑念を抱いた。
タクシン氏は選挙後にインターネット番組に出演し、大連立のうわさは意図的に流された嘘だと語った。しかしタクシン氏自身のツイッターが、有権者に疑念を植え付ける決定打となっていた。
総選挙を2週間後に控えた2023年5月1日、ペートンタン氏は第2子を出産した。するとタクシン氏は「孫の世話をするため帰国の許可を求めるかもしれない」とつぶやいた。同月9日には「孫たちの世話をするため7月に帰国することを決めた」と連打した。総選挙を意識しての投稿とみられた。
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