そういう意味で、ネーションには階級闘争を緩和する効果があるといえる。だからこそ、ハゾニーやリンドがいうように、多数のネーションが併存・共存する世界を目指すべきであり、グローバリズムによるネーションの境界の取り払いは望ましくないと思うのです。
中野:最後に、アメリカの保守の政治思想を研究されている井上先生に全体的な総括をいただけますか。
井上:はい。みなさんがおっしゃるように、アメリカの多元主義は、ドーピングをした多元主義だったと思います。やはり、抜きがたくホワイトネスによってつなぎ留められていた。それ以外のエスニシティは、巧妙に周辺化されていたというのが正直なところです。
もちろんどこまでを白人に含めるのかについて、長い葛藤の歴史がアメリカではありました。アイルランド系も長らく苦労がありましたし、東欧系やイタリア系などもなおさらで。
中野:俺たちは、入らないんだ(笑)。
井上:そうしたアメリカですから、アイデンティティ・ポリティクスが出てくるのは、つねにある種必然です。ただ、マジョリティとマイノリティの関係は確かに重要ですけど、階級の問題が見えなくなってしまった。
したがって、リンドがこの本で階級の問題を再び取り上げ、アメリカに限らず収拾がつかなくなっている現在の社会で、共通の土台を探すために階級的平和の活路を示唆しているのは意義あることだと思います。
大学教員やメディアが改めるべき態度
私は先ほど中野さんがおっしゃっていた、個別具体的な問題解決に対して非常に共感を持っています。私の政治的本籍地はたぶん左なのかもしれませんけれども、SNSのなかだけで昔の啓蒙知識人のような発言をしている人がもしいたとしたら、それはとんだお門違いだろうと思います。
右であれ左であれ、個々の問題や課題のなかですり合わせをしていく必要を感じます。特に大学教員とメディアは、いまだに戦後の時代に縛られて、知識人然として人々を先導するというスタイルをとってやしないか、ということなんだと思います。
だから、大学生が民主主義は嫌いか、好きじゃないか以前に、面と向かっては言わなくても大学の先生に対して冷ややかな気持ちをもっているかもしれない。あるいは、メディアが「マスゴミ」だと言われるのかもしれない。
われわれは抜きがたくニュークラスであって、その階級意識をきちんと自覚していく必要があると思います。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら