施:リンドはこの本ではあんまり強調していないですけど、やっぱりリンドはナショナリストなんですよね。
リンドが90年代に書いた『ネクスト・アメリカン・ネーション』(未邦訳)という本があります。その中で、最初はアングロサクソン的なネーションであったアメリカが、次第にマイノリティや移民を取り込んでいき、人種の坩堝として発展していったことを説明しています。
アングロサクソン的なエスニックカルチャーが大本であるものの、さまざまなエスニックグループがアメリカのネーション形成に貢献し、多様な人々を取り込む国として進化してきたことが強調されているわけです。
しかし、『新しい階級闘争』では、民主的多元主義が成り立つためには、ネーションという大きな枠があって、そこで得られるナショナルな連帯意識が基盤として必要だということが、あまり触れられていません。
その連帯意識が、さまざまな利害を表明する中間共同体同士、ともすれば労働者と資本家であったとしても、同じナショナルなカルチャーやネーションを共有する仲間として、相互の調整も可能になるというのが民主的多元主義だと思うんですね。だから民主的多元主義というのは、私は根本的にナショナルなものだと思います。
中野:多元主義の基礎にある「ナショナルなもの」というのは、何か。一昔前のアメリカではよく、自由や平等といった、リベラル的価値観で集まったネーションだというふうに言われていました。
けれども、実はかなり西洋由来の、あるいはキリスト教的なエスニックカルチャーが基盤にあってのリベラリズムだったということが、今回、決定的に明らかになってしまった。
だとすると、エスニックカルチャーをコアにした「ナショナルなもの」が破壊されたんだとしたら、もはやリンドに処方箋が出せるわけがない。そんなもの、人為的につくれないんだから、ということなんじゃないですか。
解決のヒントは「労働者階級の二面性」にある
佐藤:みなさんが問題にしていることに答えを提示しうるのは、労働者階級が真に抱いている価値観、より正確にはその二面性かもしれない。アメリカ社会が輝いていた1950〜1960年代に、伝統的価値観を擁護する人たちが反発した文化現象の代表例はロックンロールです。
ところがご存じのとおり、ロックは労働者階級が生み出した音楽。「労働者=地域に根ざした伝統的価値観の担い手」というリンド式の解釈では説明がつきません。
この点をみごとに説明したのが、労働者階級出身のロック評論家デイヴ・マーシュ。彼はこの時代の若者文化を「パンク(不良)」と「ヒッピー」に分けて論じました。パンクは労働者階級に属し、ヒッピーは中産階級に属します。