リベラルな社会にこそ「保守の価値観」が必要な訳 多様性が「対立」ではなく「共存」するための条件

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アノクラシーになった国は、最も内戦に陥りやすい。そして「ポリティ・スコア」という評価基準にしたがえば、トランプ政権末期のアメリカはアノクラシーに陥りました。その後はとりあえず民主主義と認められる域に戻ったものの、デマゴーグとしての彼の存在は引き続き問題視されている。

ゆえにトランプをヒトラー扱いするのは、アメリカを権威主義体制に移行させるだけの力を持っていると見なす点で過大評価であり、世の中には権威主義より恐ろしい状態があることを見落としている点で過小評価となるわけです。

「多元主義」が成り立つための条件

井上:これは多元主義を可能にしている制度的な枠組みを破壊することが、多元主義に許されるかという話だと思うんですね。今、トランプの支持者は明らかにその枠組みの破壊にまで至る可能性がある。つまり、多元主義の共通理解を欠いているゆえに、多元主義を超えてしまおうとしている。

中野 剛志(なかの たけし)/評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学工学研究科大学院准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『小林秀雄の政治学』(文春新書)などがある(撮影:尾形文繁)

中野:それは非常に大事な論点だと思います。多元主義は、対立せず共存するための共通理解、凝集力が必要となる。典型的には言語や文化がその役割を果たしていますが、エスニックカルチャーといったリベラルが容認できない要素が絡むと問題は難しくなります。

1950~1960年代のアメリカは白人優位で文化的・人種的・宗教的に一致していた。そのため、多元主義がうまく機能していたけれど、その後、秩序の基盤にあった宗教やエスニックカルチャーが揺らぎ始めてしまった。保守は、秩序の基盤となるカルチャー、歴史、宗教といった、リベラリズムでは説明できないシンボリックな価値を守ります。

リンドはナショナル・コンサバティズムを提唱し、1950~1960年代の多元主義を支えたエスニックカルチャーを核とした、アメリカンナショナルカルチャーを重視しています。リンドはこのカルチャーこそ保守したいと考えているのでしょう。

古川:リベラルな民主的社会の基盤にはナショナルな文化やアイデンティティの共有が必要だというのは、リベラル・ナショナリズムと呼ばれる理論です。これは近年では、むしろカナダやオーストラリアの多文化主義者たちから支持されています。

多元性を尊重すればするほど、それを1つのネーションを統合する共通文化の必要性が、よりいっそう切実になるわけです。それが自然に存在しないなら、教育を通じて人為的につくり出すしかないとまで彼らは考えています。

利害や価値観が異なっても、同じ歴史と運命を共有する仲間なのだという同胞意識があってはじめて、対話したりお互いに譲り合ったりしながら利害を調整することが可能になります。そうでなければ、どうして見知らぬ他人のために俺がゆずらなきゃいけねーんだという話にしかならない。見知らぬ他人を我が同胞だと想像する、まさに「想像の共同体」としてのネーションが、リベラルな社会には必要不可欠なのです。

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