「2浪で東大不合格」兄に劣等感持つ彼が叶えた夢 宇宙の研究が夢、馬鹿にされても努力し続けた

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あおさんは、「最初から自分の成績で大学に行けないことはわかっていた」と迷いなく1浪を決断します。予備校は、現役のときに通っていた河合塾に引き続き通うことになりました。

「希望制のクラス分けテストを受けました。テストでは運良く得意な問題が出て、難関大学を受験するクラスに入れたのです。それはよかったのですが、学力と見合わないコースだったので最初から全然ついていけませんでした」

「河合塾はやってきた予習を授業で答え合わせして、また復習するというサイクルが大事です。それなのに、自分には難しすぎて問題が何もわからず、事前課題が白紙のままで授業を受けました。チューターからも下のクラスに変えるように言われたのですが、自分が許せなかったんです。結局、秋の三者面談の際に改めて自分の成績と向き合い、現実を突きつけられ、トイレの個室で号泣しました」

泣き腫らした目で後期試験を受ける

「兄と比べて、何で自分はこんなにダメなんだ」という強い自己否定に支配された屈辱の1年だったと言います。結局この年のセンター試験は550/900点程度と前年よりわずかに上がったものの、受けた6大学のうち5つが不合格。唯一大東亜帝国(大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘の各大学)レベルの大学に1校合格するも、納得ができませんでした。

「前期試験の電気通信大学に落ちてからはふてくされてしまい、泣き腫らした目で後期試験を受けに行ったのをよく覚えています」

最悪の精神状態で受験を終えたあおさん。しかし、ここで捨てる神あれば拾う神あり。この時期に、新聞で四谷学院広島校の広告を発見します。

「1浪目までは自分の能力より高いレベルの勉強をして、失敗しました。だからこそ、ゼロからスタートすることをうたっていたこの予備校にすごく魅力を感じて、後期試験が終わってからすぐに校舎に話を聞きに行ったのです」

この見学を経てあおさんは、四谷学院で次年度の浪人をする決断をします。

とはいえ、どうしてすんなりと2浪を受け入れることができたのでしょうか。その質問を投げかけると、彼は「夢を諦める自分自身が許せなかったから」と答えてくれました。

「妥協したくなかったのです。ずっと『東大で宇宙の研究をする』と言い続けていたのに、結果が出せない自分が歯がゆかったんです。幸運にも2浪することを許してくれた環境もありました。両親にはとても感謝しています」

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