山縣有朋、西太后ら「悪役」は本当に悪いのか 浅田次郎が語る「日本の運命」<中>

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浅田次郎(あさだ じろう)●1951年東京都生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を、それぞれ受賞。そのほか〈天切り松 闇がたり〉シリーズや『プリズンホテル』『蒼穹の昴』『一路』『黒書院の六兵衛』『神坐す山の物語』など多数。ゴールデンウィーク公開の水谷豊主演映画『王妃の館』の原作者

――中国の近代史でも善悪を決めるのはナンセンス?

中国の歴史は善悪を決める描かれ方をする。今の僕らの立場は、一般的に戦前の日本軍部を悪と考えるが、はたして善悪のものさしで測れるものなのかと言えば、一概には言えない。ましてや中国の場合、もっとわかりやすくて、たとえば清朝末期に西太后という人が権力を振るって、中華民国以降の歴史から見れば、前王朝の、しかも最後の帝政の実質的な王という認識があるから、これは悪者でなければならないとなる。

もともと中国歴代王朝の最後の皇帝はみな悪者、次王朝の最初の皇帝は英雄という史観パターンがある。その同じ史観を踏んで、西太后も、西太后を支えた李鴻章も悪人ということになった。民国以降の史観からすれば、そうならざるをえない。

でもその事実を考えたときに、中国の近代史を紐解くと一概にそうとは言えない。これを善と悪とに強いて分けるとすれば、中国が善で、中国を侵略しようとした列強が悪。この考え方はあるかもしれない。英国は輸入超過に困りはてバランスを取るためにアヘンを売り、そこから始まって植民地化してゆく。これは侵略というなら侵略であって、悪といえば悪。それを押し止めようとした西太后や李鴻章が悪かといえば、これはそうは言えない。

西太后には政治的手腕があった

西太后は悪女ではないという発想から『蒼穹の昴』を書いた(写真:TopFoto/アフロ)

――西太后は悪女ではないと。

客観的に見て西太后の業績は、アヘン戦争の時点で倒れているべき国を30年も40年も保たせた。これは確かであり、それなりの政治的な手腕があった。彼女自身になかったとしても、彼女には、配下の官僚や軍人をコントロールするだけの政治的な実力があったのは確かだ。

そういう意味から見て、西太后は悪女ではないという発想から『蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)』を書き始めた。この小説は西太后を庇護したのではなくて、歴史観そのものに対する懐疑を提示したものだ。

主流の歴史観に対して真っ正面から異議を唱えると、その体制下に生きている限りは絶対に攻撃される。たとえば今、僕が戦前の軍部が必ずしも悪とは思わないと言えば、いろいろなところからたぶん攻撃されるだろう。こういう考え方を持っていて学者であったら、おそらく右翼学者と言われ、排撃されていると思う。そういった異論は小説に載せて、物語として書いていければいい。

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