――中国の近代史でも善悪を決めるのはナンセンス?
中国の歴史は善悪を決める描かれ方をする。今の僕らの立場は、一般的に戦前の日本軍部を悪と考えるが、はたして善悪のものさしで測れるものなのかと言えば、一概には言えない。ましてや中国の場合、もっとわかりやすくて、たとえば清朝末期に西太后という人が権力を振るって、中華民国以降の歴史から見れば、前王朝の、しかも最後の帝政の実質的な王という認識があるから、これは悪者でなければならないとなる。
もともと中国歴代王朝の最後の皇帝はみな悪者、次王朝の最初の皇帝は英雄という史観パターンがある。その同じ史観を踏んで、西太后も、西太后を支えた李鴻章も悪人ということになった。民国以降の史観からすれば、そうならざるをえない。
でもその事実を考えたときに、中国の近代史を紐解くと一概にそうとは言えない。これを善と悪とに強いて分けるとすれば、中国が善で、中国を侵略しようとした列強が悪。この考え方はあるかもしれない。英国は輸入超過に困りはてバランスを取るためにアヘンを売り、そこから始まって植民地化してゆく。これは侵略というなら侵略であって、悪といえば悪。それを押し止めようとした西太后や李鴻章が悪かといえば、これはそうは言えない。
西太后には政治的手腕があった
――西太后は悪女ではないと。
客観的に見て西太后の業績は、アヘン戦争の時点で倒れているべき国を30年も40年も保たせた。これは確かであり、それなりの政治的な手腕があった。彼女自身になかったとしても、彼女には、配下の官僚や軍人をコントロールするだけの政治的な実力があったのは確かだ。
そういう意味から見て、西太后は悪女ではないという発想から『蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)』を書き始めた。この小説は西太后を庇護したのではなくて、歴史観そのものに対する懐疑を提示したものだ。
主流の歴史観に対して真っ正面から異議を唱えると、その体制下に生きている限りは絶対に攻撃される。たとえば今、僕が戦前の軍部が必ずしも悪とは思わないと言えば、いろいろなところからたぶん攻撃されるだろう。こういう考え方を持っていて学者であったら、おそらく右翼学者と言われ、排撃されていると思う。そういった異論は小説に載せて、物語として書いていければいい。
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